平和

原爆

今日は広島に原爆が落とされた日ですが、プラハにおけるオバマ大統領の演説は、うれしいニュースでした。

被害者であることは、深く深く心に刻まれても、加害者であったことは、忘れやすいことです。

日本の反戦の論調が、いつも被害者の立場からであることが、ぼくはいつも釈然としません。
といいながら、もう50歳になってしまいました。

ぼくにできることはもっとあったかもしれません。

そんな中で、栗原貞子さんという方の「ヒロシマというとき」は、冷静で、加害者としての立場も忘れない、という毅然とした作品で、大好きです。

これを引用させてください。

なお、作品中、「パリア」というのは、カースト制度における4つの階級のさらに下に位置する、不自由な身分のことだそうです。

 

『ヒロシマというとき』
 


〈ヒロシマ〉というとき

〈ああ ヒロシマ〉と

やさしくこたえてくれるだろうか

〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉

〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉

〈ヒロシマ〉といえば 女や子供を

壕のなかにとじこめ

ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑

〈ヒロシマ〉といえば

血と炎のこだまが 返って来るのだ

 

〈ヒロシマ〉といえば

〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは

返ってこない

アジアの国々の死者たちや無告の民が

いっせいに犯されたものの怒りを

噴き出すのだ

〈ヒロシマ〉といえば

〈ああヒロシマ〉と

やさしくかえってくるためには

捨てた筈の武器を ほんとうに

捨てねばならない

異国の基地を撤去せねばならない

その日までヒロシマは

残酷と不信のにがい都市だ

私たちは潜在する放射能に

灼かれるパリアだ

 

〈ヒロシマ〉といえば

〈ああヒロシマ〉と

やさしいこたえが

かえって来るためには

わたしたちは

わたしたちの汚れた手を

きよめねばならない

 

 

(『ヒロシマというとき』一九七六年三月)


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