日記・コラム・つぶやき

京都小旅行から帰って

京都小旅行から帰って

 

今年3月下旬、連れと23日の旅だった。

 

短い旅で、何が見れたというほどではないが、やはり関西弁は「あく」が強い。

たまに聞く関西弁なら、テレビで聞きなれた感もあるが、一日中、人の声がすべて関西弁というのは、かなり重い(())
日本を代表する観光地だから、それにいくらか外国語が混じる。

 

関西弁にしたって、それは、使う人の人となりなんだろうが、おばちゃんの関西弁ときたら、なんとまあ、きつい。人の悪口、愚痴を言うための方言のよう。内容と表現がぴったりなものだから、そのパワーは、恐るべし。まいった。

 

それは置いといて、もう一つ印象深いことがあった。京都市営地下鉄だったか、社内の中にあった広告。

『この電車はベビーカーもご利用できます』と大見出し。

つづいて、『周りの方は、ベビーカーに注意して、通らせてあげましょう。』と、ベビーカーの周りの人に注意を喚起。
さらに、『ベビーカーの方は、他の方の迷惑にならぬよう、注意しましょう』と、ベビーカーの側にも公平に注意を喚起。(※各文は筆者の記憶による。原文そのままではない)

 

まあ、日本の鉄道、注意書きの多いことで有名らしいが、ボクはこの注意書きには衝撃を受けた。美しいスタンス。
注意書きというものは、たいてい悪者や不注意な人に注意を促すもの。あたりまえ。たとえば、暴力はやめよう、駆け込み乗車は危険です、携帯はマナーモードに、などなどなど。

 

だけどこの注意書きは違う。ベビーカーの側にも、それを取り巻く人々の側にも、いちように注意を促している。それがとてもすがすがしい。いいものを見せていただいた。京都地下鉄。

 

「人間の尊厳とその共存」という永遠のテーマがある。

わが郷里の士、山縣大弐(やまがただいに=甲斐市・山縣神社に祀られている学者)はその本の中で、これを大きなテーマと捉えた。江戸時代のこと。時代を経て、幕末の吉田松陰などは、この本を大いに参考にしたという。

大勢の人間が住む社会の中で、自分の尊厳をしっかり守り、他者との共存をおもんぱかる。それは、とても大事でありながら、たやすくもない。

だが、この京都地下鉄の広告に、共存の理想をひとつ、垣間見た思いだ。

 

まったく、当たり前だが、お互いに注意する。

ベビーカーが電車に乗り入れることの是非を決める必要もない。

互いに思いやってください、という。

 

ありがとう、京都地下鉄。

 

 

 

 

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日本人であることは恥か誇りか

福島県の災害から県外に避難している子供たちが、またイジメにあったと報じられる。

昨日のニュースなどは、ただ福島出身であるというだけで、大学の講師が授業中に嫌がらせをしたというもの。
授業中に講師は、教室の電気を消して、「放射能を浴びているから、暗闇で光ると思った。」と言ったらしい。

あの日本を揺るがした大惨事、負けるな日本、いまこそ絆を、とエールの木霊(こだま)したひととき。その真芯にいた被災者たちが、同じ日本人からいじめを受けている。

日本って、最低の国だな。もし、ぼくが、遠い外国から、この報道を知ったなら、ぼくは、日本にいなくてよかったな、と思っただろう。日本人ってのは、世界の中で、最低の国だな、と思っただろう。
いや、実際、ここ日本にいる僕は、日本人として骨身にしみる思いで言うよ、
『日本人ってのは、ホント、最低だな。』

あまり多くの見聞はないが、いじめと言うのは、世界中にあるらしい。
なぜ、いじめはなくならないか、
それは、立ち向かうべき大きな課題だろう。
『命を懸けて答えを出すのは、戦う相手が強いから』だ。
(泉谷しげる『なぜこんな時代に』より)

イジメを苦に、自ら命を絶つ、
こんな胸を締め付けるニュースを何度も聞いてきた。
イジメは、学校ばかりか、大人たちの職場へも広がっているという。
それは、人間というものに、もとから備わった性質なのか。
戦争がなくならないように。
『僕らは知りすぎてる、なぜ人が人を殺すのかもね』
(『また会おう』吉田拓郎

人というもの、完璧な神様には及ばないものだ、というところは異論のないところだろう。
それでも、イジメや戦争が心苦しいのであるならば、それを何とかしようとするのも、また人間なんだろう。

何年か前、魚に詳しい「さかなくん」が、とある新聞の取材で、こんなことを言っていた。
魚なんかを水槽に入れて飼おうとするとき、その狭き水槽の中で、よくイジメめいたものが起こると言う。
それと同じように、学校で起きるイジメの要因のひとつは、現実の社会に比べて、その教室の中は、狭苦しく、閉じられた空間であることか。
その空間だけが世界あるかのように考えてしまい、その外側に、圧倒的に多彩で広大な『世界』があることを忘れてしまう。そして、歪んだイジメのような行為に至ってしまう。
以上がさかなくんの説である。

僕はその説になんともすんなり納得できるものがあった。

いま、福島にかかわる人の、そういった報道から思うのは
災害の風化である。
それでも、放射能だとか、記憶に残っている部分もありつつ、
それが現実に何を突きつけているか、とか、
本質的なことの風化は、まぎれもなく始まっている。

いつまでも傷を残さず、癒そうとしていくのもまた真実。
だけど、忘れちゃいけないこともある。

がんばれ、日本!
と、国の内外から沸き起こったその声のあて先が『日本』であったことを思えば、
あらかに傷の癒えきっていないこのとき、そのいじめが日本の中で、日本人の手でなされていることを看過できない。

2017.2.22

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父の詩から 『自由の風』

   自由の風

急ぐ私は丸ノ内二丁目の歩道の
雨に濡れてすべる梅の絵のタイルを踏んでいく
雨は保険会社の水色のビルをぬらし
高いケヤキの街路樹をしずかにつつんでいる
雨は誰でも濡らして降るが私の生涯は
大企業の思想差別にぬれて傘もなく
降りかかるものとたたかった
差別を見ても夜の霧雨のように
無視するふりの人々の街をいく

穴切町のあたりには私の知りあいの
黒駒生まれの老婆が軒下に出て花の手入れをしている
彼女は息子一家と村を出たのだ
なつかしい故郷の黒駒村の坂道の石ころを濡らした雨よ
私の一家もすむところを探して村を出た
私が差別されると
妻や子どもも差別され
見知らぬ人々のあいだを雨にぬれて
さびしい心で歩いている

ここに差別があると
人々が無視しようともたたかいつづけるものらがいると
あれは誰の声
降りかかるのは霧雨のような
東京電力がする差別である
梅のはなは春に散るが十七年たたかって
私が踏んでいくのは雨にぬれるタイルの梅ではない
もういまは古くなった私への差別である
私が見るのはここからけむる西の山脈の
白とうす紅色のコスモスが揺れる高原の
冷たい畑を吹く自由の風である

              1993年


以上は、父、返田満(そりたみつる)の作品。
父は8年ほど前に亡くなったが、
自分が定年まで勤めた東京電力を相手に、
仲間たち(同僚)と裁判を起こし、19年の戦いののち、和解を得た。
これは、ほぼ勝訴に近い。
仕事もしながら、何度丸ノ内のタイルを踏んだことだろう。
丸ノ内と言っても、ここでは甲府市の丸ノ内のこと。
甲府銀座もあるように、城下町甲府には、やはり丸ノ内もある。

亡き父のことを思うというのも感傷的な感じだが、
何のめぐり合わせか、ボク自身、甲府の丸ノ内近くに住み、
それこそ、何度も丸ノ内のタイルを踏んでいる。

父たちの闘いは『東電思想差別闘争』と呼ばれるが、知る人は少数派だろう。
もう、闘争の中にいた父や、その仲間たちは、歳月のゆく中で
その生を終えた人が多い。
当時世界的に見ても有数の資本力を持つ大企業東京電力を相手に、
当初、ボクは、まず勝ち目はないと思っていた。
しかも自分の勤める会社相手である。
裁判までの差別もきつかっただろうが、提訴あとは推して知るべしである。
差別とは、共産党員であった父たちへの圧力である。
昇進させない賃金差別から始まって、その部署の会議に一人呼ばれない、
ある者は、結婚式などにも嫌がらせを受けたと聞く。
いわゆるレッド・パージ、アカ狩りの延長だ。
一方で、ジョンレノンやチャップリンもレッドパージの被害にあったことも思えば、
時代の勲章か?((笑))
企業にとって、共産主義思想はじゃまものであろう。
しかし、父を通して、あるいは父の詩を通して、もっとわかってくることがある。
裁判で、保身のために、平気でうそをつく同僚たち。
そういう嘘を強要するものたち。

ボクが高校生の時だった、あるとき不意に父が言った。
「お父ちゃんは仲間といっしょに、会社を相手に裁判を始めるからな」
そのことはよく覚えてはいるが、
その意味は、ほとんど分かってはいなかった。
ボクは自身の生活の中で、手いっぱいだった。
その後19年のちに、和解を勝ち得る。
日本の裁判所が、大企業ではなく、共産党員に味方した
判決を出すこと自体、信じられなかった。

当時、父に尋ねたものだ。
「どうして、東電相手に裁判をしようなんて、ほんな無謀なことができたで?」
父は、考えあぐねることなく、言った。
「仲間がいたからだ」

この「自由の風」のなかで、「私が差別されると/妻や子どもも差別され」とあるが、
私は、親が日本共産党員であること、あるいは、東電相手に裁判していることによって、
差別を受けた記憶はみじんもない。
逆に、父が文学の講師をした看護学校の教え子だった看護師の人に、病院で声をかけられたり、町会議員を長年務めた父の息子だということで、役場で丁寧な扱いを受けたり、
そんな思い出ばかりだ。
ここでいう「差別」とは、父が社宅を追われれば、それに同行せざるを得ないことを指す。

『東電闘争』あるいは『東電思想差別闘争』を知る人は少数派かもしれないが、
『自由』などは、みんな知っている。
また昨今『資本主義の行き詰まり』も感じている人は多い。
父だって、『東電闘争』という言葉を残したいなんて考えていないだろう。

『自由』ということ、『息詰まる社会を切り開く』ということ。
大事なのはそっちだ。


     2016.11.21

 

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「歩きスマホ」はやめましょう

『歩きスマホ』は危険であるから、止めましょう、ということなんだな。
近年、日本では、これが結構トレンドだ。

諸外国でも、同じなのか。
日本が特に騒いでいるのか。

ひと昔前、外国から来日した方々の言い分で、
「日本の標語の多さに驚く」、という話を聞いたことがある。
『黄色い線の内側に‥‥』
「駆け込み乗車は‥‥』
『車内での携帯電話の‥‥』
等々。

これが特に日本的だとしたら、なぜだろう。

●まず、そういう注意を喚起しないと、人々はすぐ堕落するから。
●あるいは、そのマナー等を知らない?

そういう注意を書くことによって、マナー等を守る人が増えてくるのか

では、逆に、諸外国で、そういう注意書きが少ないとしたら、なぜだろう。
●彼らが自立していて、注意は必要ないか
●あるいは、そう表記があっても、なくても、守らない人の数は変わらない、という認識か?

こんな話も聞いた。
日本人は世間を歩くとき、ちょっと安心しきっていて、
自分で自分の身を守る、という自覚が薄いのか。

車道を横断しようとしている老人の方々の中に、
「止まるのは車の方」と、鼻から高をくくっている感じも多い。

盗難にしても、日本人は、危機感が薄い。
テーブルや椅子の確保のために、平気で荷物を置いてゆく。
ひとつは、やはり、「治安のいい国」ということもあろう。

さて、では『歩きスマホはやめましょう』と言われて、
どれだけの危険が回避されたのだろう。
または、言われないと、そのことに気づけないのか。
『歩きスマホの危険』は、本人以外にも及ぶ悪行だが
自分自身の危険性も大きい。

スマホ自体、人間史上なかったものだから、対処にまだ戸惑っているのかもしれない。

とはいえ、r『歩きスマホによって、身に危険が迫る』ことに気づかない、としたら、
ちょっとおかしくないか。
これは、「生命体」としてどうなんだろう。
「生き抜く力」が足りないと言えないか。

そういう世話を焼かれないと、人というものは生活できない存在なのだろうか。
それでいいんか。

 2016.10.21

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『無言館』に行ってきた。

長野県は上田市にある『無言館』というところへ行ってきた。
もうひと月になるだろうか。

それがどんなところか、噂には聞いていた。
第二次大戦中、絵画の勉強をしていた学生が、戦争に召集され、若き命を散らしていった。
その作品の一部を収集している美術館である。

1474076430261 さて、その旅は、それを見に行こうという志の人たちの、バス一台の小旅行であった。

帰路のバスの中で、ありがちな、感想を順番に述べてゆくシーン。
ボクは、こんな風に述べたように記憶する。

今回は、初めての訪問だったけど、『無言館』がどんなところかは、噂で知っていた。
さて、それを見て「やはり命を奪う戦争は悲惨だ。平和な世界を求めたい」というのでは、あまりにも教科書通りでしょう。

で、
実際に無言館に入っていくと、左の壁に、まず、館長のお言葉。この美術館収蔵の絵を収集した方でもある。
彼の言葉の中に、確かこんな表現があった。

「当時絵を描いて、それを学んだりしていたが画学生にとっては、絵を描くことは、命の燃焼、至高の歓びであったでしょう」

これこそ、求めていたキーワード。

なぜ若くして死んだ彼らの絵が訴えるか。
彼らは、夢半ばで死んだから?
将来有名な画家になったかもしれないから?

そうではなく、
彼らが命を燃焼していた、至高の歓びの日々を断ち切られたからだ。

戦争さえなければ、それでよいか。
戦争のない日々だけが求められるか。
それは単にひとつの条件に過ぎない。

平和の日々の中で、ボクたちは命を光煌々と燃焼するのだ。
画学生の絵たちは、その瞬間を切り取って、そこにある。

例えば歌の好きなボクなどは、歌が好きな若者と交流したりする。
歌い続けるのか。辞めるのか。
例えば、野望を持っているものなどは、志は叶わぬかもしれない。
しかし、今日この時点で、歌うことに至高の歓びを見いだせていれば、
重要なのは、将来の夢がかなうか否か、ではないのは明白なことだ。

その無情な歓びを自身は満喫し、
きっと親なども、小言を言いながら微笑ましく思い、
命を与えた創造主などがいれば、彼もきっとご満悦なんだろう。

絵はもともと『無言』。歌とは違う。
その無言の中で形ある絵は語り続ける。
ボクもそれに共感できる歌を、いつも携えていたい。

   2016.10.20

 

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神経症と時間軸について (覚書(おぼえがき))【長文注意!!】

先日、SNSFacebook)へ、コメントとして、

「神経症の原因のひとつは、肉体的な病状もあるが、同時に自身の中の『時間軸のゆがみ』ということがあると思っている」

と書いた。
それについての問い合わせがあったわけでもないが(())
覚書(おぼえがき)として、少し書いておきたい。

この文章の根拠については、ボク自身の経験がほとんどで、他人の症例を参考にしたわけではない。
しかし、主治医と相談しながら、薬の摂取をやめることに成功し、6年が経過する今、覚書としてここに記す価値はあると思っている。

ボクの病名は「統合失調症」というもので、この病気の症状の一つに「幻聴」といったものがある。
「聞こえるはずのない声」が「聞こえて」しまう。

もうかなり回復期に入っていたのかもしれないが、幻聴との「闘い」において思い出すのは、その幻聴がどこから聞こえくるのかを、よくよく聞いてみること。
すなわち、だれか他者が自身の外から語りかけているのか、はたまた自身の中からなのか。

横道にそれるかもしれない」が、
「自分」とは、いったいどこまでの範囲のものか。
いつか書店で見かけた本は『自分と世界の境界』という風なものだった。
そんな本も存在するくらい、この種の命題は簡単なものではないと思う。

「テレビに心を奪われる」というような表現があるが、それは「まるで自身の魂が、肉体を離脱して、テレビに飛んで行ってしまうようなニュアンスである。
あるいは、「雲のさまに魂を奪われたような気持ちだ。」という表現も、
「雲」という他者に、魂を持っていかれたようだということだ。
そのとき、まるでテレビや雲も、自分の一部であるかのごとくである。

また、
食べ物の摂取や呼吸。
明らかに他者であった飲食物や空気は、その流れの中で、いつしか自分に変わっている。

自身に変わったのは、その流れの中のどの時点か。
ソシャク、消化、吸収などの、どの段階か。

 

そんなことまで考え併せてみれば、自分と自分を取り巻く環境とのボーダーというものは、普段はさほど自覚されていないだろう。
いわゆる『健全』な精神であれば、その思いが、雲と雲の合間や、宇宙空間をさまよおうが、それはそれで、素敵なことなんだろう。

さて、病中において、もし、自己の枠がはっきり意識されていて、明らかに、幻聴が自分自身から生まれているということに気が付けたら、これは、幻聴に対する闘いにおいての『ほとんど勝利』なんだろうと思う。

まあ、それを初歩段階として、
まず、幻聴自体、自分で無意識な感じで生み出していると確信できれば、
次に「無意識の声」が生まれくる家庭に着目したい。
何らかの文脈をもって、それらは生まれくるに違いない。

深層意識というものは、まさに『深層』というごとく、意識上には表れにくい。

しかし、ある意味「訓練」のようななかで、深層に近づくことができるようになると考える。その無意識の深層のテーマは、だいたいこうだ。

「いかに自分が気にしている弱点を突くか」
「そういうセリフ(幻聴)が効果的である『舞台』が整う瞬間を見逃さぬよう、そのタイミングを窺っている」というか、あるいは「自分自身で、これもたぶん無意識に、そのセリフの似合う舞台を整えてしまっている」のだろう。

それらは、すべて自分自身がなしていることである。
「誰かが自分のことを噂してるんじゃないか」
「ちょっと聞いてみよう。なになに」

「ほらやっぱりだ。あんなことを言ってる。」

このような流れ(文脈)こそ、先に記した「ゆがんだ時間軸」の一例だ。
つまり、「幻聴」にさいなまれる患者は、自身によって、幻聴の舞台をセッティングしては、自身でせりふの脚本を書くのである。

そして自分の時間軸でそれを遂行し、完璧なまでの自己攻撃を成し遂げる。

ボクらの「時間」は、「待って」いれば、無意識が幻聴を浴びせくる。
だから、そのまえに、自分の時間を揺り動かして、自分の『意識的』な意思による時間軸の前進をするべきなんだ。

 

プラス思考、マイナス思考などという表現があるが、
その種の、思考タイプの違いというものがあろう。
極端に言えば、
悪い方、悪い方へと転んでいこうとするタイプ。
あるいは、愉快な方へ、愉快な方へと転じてゆくタイプ。
幻聴などは、前者だろうが、
幻聴を打ち砕くための最終的な段階は、
自身の時間軸の中で、幻聴が生まれくるのを待つようなスタンスでなく、
別の、生き生きとしたシナリオに塗りかえてやろう、ということだ。
『訓練』等によって、自身の深層心理を見えやすくして、その闇に光を当ててやる、自身の命の躍動を注ぎ込む。
「誰か、私のことを噂してる」
という思い付きに対し、
自分というものの境界を自覚し、
ほんとうに実体のあるはずの噂の主()はどこか、と自身の外部に耳を澄ませる。

すると、その主(ぬし)自体がねつ造だったと気づく。自身によるねつ造だ。
あるいは、その幻聴を呼び込むシナリオを、常に別件の愉快で積極的なものと入れ替える。
愉快なこと、積極的なこと。
夢のこと、楽しいこと、おいしいこと‥‥
幻聴のシナリオのみを待たなければならない必要はない。
無限のシナリオが可能だろう。
それが無限の未来ということ。

とりあえず、覚書。
特に「幻聴」ということでまとめたが、ほかの諸症状にも、あてはまることは多いと思っている。

 

ロシアの文豪、トルストイにこんな名言があるそうだ。

『進むのは我々の方だ。時間ではない。』

我々が進もうが、時間が進もうが、同じことなんだろうが、

何も存在しない世界でも、そこに時間は流れるか。流れても、流れた証拠がつかめるか。

 

われわれの意識というものは、進ませる意思がなければ「次」には行けない。
それが『我々が進む』ということ。
ただ時間の流れに任せて‥‥

ということもあるだろうが、「停滞は後退」という言葉もあったが


 「進み続けた」人生でありたい。


 

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ずっと空ばかりを

空の様子は、10月になるころから大きく様変わりする、と聞いたことがある。

「天高く、馬肥ゆる秋」というが、空の深さが増して、高く思えるのだろうか。

ユーミンの『ベルベットイースター』の中では、「空がとっても低い、天使が降りてきそうなほど」とうたっている。 イースター(キリストの復活祭)は、春のことのようだ。

寒い季節になると、星がきれいに見えるともいう。
寒くなると、地熱などで発生する水蒸気が少なくなるため、水分を多く含む空気が揺れて、遠くのものをゆがめることがなくなるからだそうだ。
ちなみに、「星が瞬(またた)く」その理由は、空気による光のゆがみだそうだ。
これは科学的な理由であるが、幻想的な理由は別にあろう。

アラーキーという写真家がいる。
たぶん今もご健在と思うが、本名は荒木経惟(あらきよしのぶ)さんとおっしゃる。

丸渕眼鏡と鼻の下のひげで、特徴のある風体をしていらっしゃる。
彼の話で、どうしても忘れないのが、「空の写真」である。
荒木さん、奥様が亡くなったとき、しばらく、空の写真ばかり撮っていたそうだ。
おそらく、一眼レフや、大仰な取り換えレンズでなく、コンパクトな軽量なカメラだった気がする。
ふとカメラを向けて、パチリと撮る。見上げて、パチリ。また見上げて、パチリ。

その話から伝わりくる、言葉にはなららぬが、なんとも鮮やかな心模様。
とても強く共感できる思い。

きっと構図とか芸術性ではないものが、そこに写っただろう。
空を映したいというよりは、彼の気持ちが、空に放り投げられた。

芸術とは、時にそんなものかもしれない。

 2016.10.7

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秋来ぬと

『秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる』
というのはボクの好きな古歌だが、

こんなことは、ありえなくなりつつある。
みなさん、耳にはイヤホーンが差してあるから。
外を歩くとき、風の音は聞こえにくい。
それは、変化を好まぬ古い世代の泣き言だろうか。
そう取られても仕方ないが、
こういうことは、生命体『ニンゲン』に多大な影響があると思う。

だって、環境あっての自分である。

ぼくらは、「環境」=「自分を取り巻くもの」と関わることで、
「自分であり続ける」ことができるんだ。
このことを忘れてはいけない。

もう、立秋も十日も過ぎたらしい。

『秋が来た と目にははっきり変化がなくても 風の音を聞いて びっくりしたよ」(拙訳)

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世界を変えることは、できますか?

『世界を変えることは、できますか』

この言葉は、いろんなところで、何度か見かけたことがある。

Eric Crapton の歌がある。
あるいは、音楽仲間のO君から推薦してもらったDVDの映画、
『Pay Forward』(邦題は失念)の中で。
はたまた、これもDVDで見たのだが、日本の連続テレビドラマで、
いじめをテーマにしたもの。女の子がいじめられて、最終的に死んでしまう話の中、
物語冒頭に、彼女が言う。
『世界を変えることは、できますか』

『変わりゆく世の中』という一方、『何にも変わっちゃいねえじゃん』
ということも多い。
マスコミで、ブログで、酒場で、
あちらこちらで聞こえる、正論たち。

「もう学歴社会じゃないんだよ」
「お金よりも、大事なものがあるんだ」
「心の時代だよ、モノの時代は終わったよ」
「戦争反対、戦争反対、戦争反対・・・・」

そういった『正論』が、世の中では、こんなに大手を振って歩いているのに、
それらに対する、有力な反論も見えないのに、
どうして世界は変わっていかないんだろう?

ボクら、世界を変えたいなら、もう『正論』で立ち止まっているばかりじゃだめだ。
そんなことが見え始める。

『正論』はやはり、言葉。
『正論』の裏打ちなどなくても、
金を大事にしている人たちがいる。
戦争を推進しようとしている人たちがいる。
学歴社会で、ふんぞり返っている人たちがいる。

そこに、背景となる彼らの『正論』が、どこにも見当たらなくても、
彼らは、黙って実践している。彼らの本音は、実践という形で現れる。
ボクらの『正論』と戦うことの無意味さをよく知っているから。

なら、ボクは思う。
正論はもう十分だ。
その実践を積み重ねていきたい。

本当に大事なものを信じてできた人生と喜びを。
理論でなく、生きざまを。



 

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「小さな奇跡の日々」

「小さな奇跡の日々」

 

近頃、こんな楽しいことがあった。

言ってみれば、こういうのは毎日の砂漠の中に秘められた小さな宝石たち、

さしずめ、小さな奇跡たちといったところだろう。

晴れた日の昼下がり、ボクはアルプス通りを西から甲府駅方面へ走らせていた。
そして信号待ちで停車したとき、左側に大きなセダンが並んだ。

その時、ボクの車でなっていたのが、名盤の中の名曲、「Moritat」。

ボクはたいていの場合、iPodをシャッフル(ランダム再生)にしておくから、その男性と車同士が並ぶ瞬間にソニー・ロリンズがかかるのは、ホントウに偶然!

運転席の白髪の紳士がボクに何か手ぶりで訴えている。
そこで、音量をさ下げて、耳を傾けると、その紳士、こう言った。
「ロリンズなんて、珍しいね。」

 「いやあ、二十歳のころ友達に教えてもらったんですが、その頃は、分からなくて、でも今聞くといいですね! 最高です。」

「ボクも聞いたのは、二十歳かちょっと前ぐらいだったかな」
会話はそこまで。車が流れ出した。

左車線ながら、その男性の大きめのセダンはボクの前の方へ先に進んでいくので、ふとナンバーを覗くと、なんとなんと(笑)、『湘南』ナンバー。

山梨ナンバーの男性には、こんなおしゃれな人はいるか、いないか、
とにかく、『湘南』の文字は、ドラマの演出には最適だった。

よく晴れた日、あそこは52号線のバス通り(美術館通り)に差し掛かろうかというところだった。

ボクはしばらくの間、ホンワリと幸福感に包まれたままだった。

この奇跡。

小さいけど、たしかに奇跡。



 

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