日記・コラム・つぶやき

山梨県庁の標語批判、失礼。

ちょっと言い過ぎたか。
もう過ぎ去りし9月。山梨県庁の障害者就職支援キャンペーンの標語、
「障害を越える努力と 支える職場」について。
だったら、お前、考えてみろ、
と言われたわけではないが、対案もないのに、ただ反対ではいかん、と考えた。
こんなのは、どうだ?

「気付き合い、
 補い合うから
 分かり合う」

いったい何が足りないのか、
障害者の私、あるいはあなたに。

それは、付き合い方が浅くては無理。あるいは、片方からだけのアプローチでも無理。

障害者は、何が足りないか、知ろうとする、分かってもらおうとする、
この歩み寄りに尽きると思う。
まかり間違っても、分かったふりなどしたくない、されたくない。

『分かり合うよりは、確かめ合うことだ』 (吉田拓郎~人生を語らず)

ぼくは、すべての人間というもの、障害者だというスタンスだ。
誰が神のように、完璧であろう。
不完全であれば、それこそ、障害。
その多少なんだろうな。健常者と障碍者。


 

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nifty、止められてました

nifty、止められまして
niftyメール、ブログができませんでした。
たいへん、失礼しました。

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取って置きの話

僕の母校は竜王中学校。
当時は甲斐市に統合される前の竜王町。
竜王町にあったのは、竜王小と玉幡小の二つの小学校と
それら二つから卒業生が集まる 竜王中学だった。 当時、中学校の校長先生、卒業生を一人ずつ部屋に呼んで、
記念に似顔絵を描いてくれ た。 この校長の方針で、3年間、組変えはなし。 校長先生に言わせれば、 中学の3年間というのは、一生の友人が見つかるかも知れない、
大事なとき。 だから という。 3年のとき、あることを、裏切りと感じ、 一高へは入学が決まったものの、 当時純情正義の味方、友情派の僕は、 失望ゆえ、もう高校へ行っても、友人は 作るまい、と思った。 他人と口も聞かず、親しくならず、というのは、
僕にとって、針のムシロの毎日だった その三年間、そんな調子で。。。 カナリ自分を追い詰め、精神を疲弊させていた。 その後国立九州芸術大学に現役合格のときは クラスから、どよめきが起きた。 だって、登校が苦痛だから、よくよく休んだ。 そんなやつが・・・というんだった。 大学では、気分も変わり、友も出来、
音楽活動はこの時代から始まる。 だが失恋。一週間飲み続けて、発病。 略すが、再発したりして、地元の住吉病院へ入院。 そのころ父は、こう言った。 「手続きをすれば、お金をくれるそうだけど、 しなんでおいたぞ、」 これはどういう意味なのか、最初はよくわからなかった。 しかし、僕はこんな風に思う。 「そんなものに頼るばかりの人生にするなよ。」 「病気はきっとよくなるんだから」 このことが、僕の人生を大きく左右したのは確かなんだ 俺の父は、こんな地の底の俺に、
まだ期待を寄せてくれている・・・ (つづく)・・・かな

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山梨県庁・???標語

まあ、「重箱の隅をつつく」性格ではあるが、言わせていただく。

と、申し上げれば、そうなんだ、そう自覚してるんだ、と思われても仕方ないが、

往年の名曲、海援隊『JODAN』の心もある。
すなわち、「いやいや、冗談だけどね」などと、ときに人は言うが、
『JODAN』ではこう結ぶ。

「冗談なんかで、冗談言うか♪」

去年も憤慨したが、9月の山梨県庁のキャンペーンは
「障碍者の雇用を促進する月間」だ

そのキャッチコピーは、こうである。
『障害を越える努力と 育てる職場』

さて、みなさんは、この標語を御覧になって、どう感じられるだろう。

まあ、雇用関係について、一見、「双方歩み寄り」といった感だ。

しかし、『雇用促進』においてだよ、
まず、障害者の方に、まず『その障害を超える努力をしなさいよ』
と要求してどうする!

誰が考えても、雇用促進が進まない原因は、まず職場側だ。

ふつう、そんな状況なら、労働者側に「君らの努力がもっと必要だ」
などと言うか?!
もちろん、健常者の場合のこと。
職種の専門知識についての努力は言うまでもあるまいが。

ここで、労働者側ばかりにまず、要求を突きつけるのは、
それが障碍者の場合だからである。
健常者に就活努力を要求する標語がありますか?
考えれば、すぐわかります。

そこにあるのは、雇用者側が、
「障害者は、大丈夫かなあ??」という意識そのものなんだな。

それを打ち破ろうとする標語が、
雇用者の意識をそのまま引きずっていて、どうする??
愚の骨頂・・・あーめん

だめだめ山梨県庁、クソ標語である。
 

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甲府駅・南口

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人はなぜ消える ~追悼:星野仙一~

NSPの天野さん、はしだのりひこさん、と
少なからぬ影響を受けた人の訃報は尽きないが、
星野仙一さんも逝ってしまった。

「人はなぜ消える」
とは、もう亡くなって10年になろうとする父の遺作の一部だ。

人が死ぬことを「消える」と言い表した。
その表現は珍しいが、なんとも言い当てている。

先ほどのその訃報の中で、巨人の長嶋さんのコメントがあった。
「彼はとても情熱的な方で、いつも闘志をまっすぐ燃やして来られた。
 だから、こちらも、遠慮することなく、真っ向からそれに立ち向かって行けた。
 だから、彼との戦いは、とても楽しみだったのです。」

ああ、ここにもう一人の闘士が。
長嶋さんも、星野さんを闘士ならしめたひとりである。

「遠慮なく、真っ向から立ち向かって行ける相手」
なんて素敵な言葉か。

 

 

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わおんよ、どこへ

さて、「わおん」については、前に語ったが、発展性は大きいようだ。
実際、使用できる店舗も、「ツルハ」、「ファミマ」、「ローソン」と順調に伸ばしている。

先に語ったのは、「わおん」カードは、決済が終わったタイミングなどで、「わおん」と鳴くのだが、どう聞いても「わおん(和音)」ではなく、「単音」である、という件(くだり)までだった。
この話を神楽坂のオープンマイクでMCとして用いたところ、食いついてくる若者がいた。彼曰く、
「でもカード読み取り機は『コード(和音)』でつながってますよ!」
いつの世も、『その続き』は、次の世代に託されていくんだなあ。

さて、疲れていたせいか、そのとき、
「『わおん』でお願いします」というべきところを、
「『ワイン』でお願いします。」言ってしまった。
私が甲州人だからなのか。
甲州では『ワインカード』がいいのか。

この続きも次の世代に託したいところだが、あえて考えてみれば、
支払いを『ワイン』で、ということであれば、
その後は「物々交換ですね。」ことになろうか。

わおんよ、どこへゆく。

というより、話はどこへ行く、というべきか。


 

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京都小旅行から帰って

京都小旅行から帰って

 

今年3月下旬、連れと23日の旅だった。

 

短い旅で、何が見れたというほどではないが、やはり関西弁は「あく」が強い。

たまに聞く関西弁なら、テレビで聞きなれた感もあるが、一日中、人の声がすべて関西弁というのは、かなり重い(())
日本を代表する観光地だから、それにいくらか外国語が混じる。

 

関西弁にしたって、それは、使う人の人となりなんだろうが、おばちゃんの関西弁ときたら、なんとまあ、きつい。人の悪口、愚痴を言うための方言のよう。内容と表現がぴったりなものだから、そのパワーは、恐るべし。まいった。

 

それは置いといて、もう一つ印象深いことがあった。京都市営地下鉄だったか、社内の中にあった広告。

『この電車はベビーカーもご利用できます』と大見出し。

つづいて、『周りの方は、ベビーカーに注意して、通らせてあげましょう。』と、ベビーカーの周りの人に注意を喚起。
さらに、『ベビーカーの方は、他の方の迷惑にならぬよう、注意しましょう』と、ベビーカーの側にも公平に注意を喚起。(※各文は筆者の記憶による。原文そのままではない)

 

まあ、日本の鉄道、注意書きの多いことで有名らしいが、ボクはこの注意書きには衝撃を受けた。美しいスタンス。
注意書きというものは、たいてい悪者や不注意な人に注意を促すもの。あたりまえ。たとえば、暴力はやめよう、駆け込み乗車は危険です、携帯はマナーモードに、などなどなど。

 

だけどこの注意書きは違う。ベビーカーの側にも、それを取り巻く人々の側にも、いちように注意を促している。それがとてもすがすがしい。いいものを見せていただいた。京都地下鉄。

 

「人間の尊厳とその共存」という永遠のテーマがある。

わが郷里の士、山縣大弐(やまがただいに=甲斐市・山縣神社に祀られている学者)はその本の中で、これを大きなテーマと捉えた。江戸時代のこと。時代を経て、幕末の吉田松陰などは、この本を大いに参考にしたという。

大勢の人間が住む社会の中で、自分の尊厳をしっかり守り、他者との共存をおもんぱかる。それは、とても大事でありながら、たやすくもない。

だが、この京都地下鉄の広告に、共存の理想をひとつ、垣間見た思いだ。

 

まったく、当たり前だが、お互いに注意する。

ベビーカーが電車に乗り入れることの是非を決める必要もない。

互いに思いやってください、という。

 

ありがとう、京都地下鉄。

 

 

 

 

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日本人であることは恥か誇りか

福島県の災害から県外に避難している子供たちが、またイジメにあったと報じられる。

昨日のニュースなどは、ただ福島出身であるというだけで、大学の講師が授業中に嫌がらせをしたというもの。
授業中に講師は、教室の電気を消して、「放射能を浴びているから、暗闇で光ると思った。」と言ったらしい。

あの日本を揺るがした大惨事、負けるな日本、いまこそ絆を、とエールの木霊(こだま)したひととき。その真芯にいた被災者たちが、同じ日本人からいじめを受けている。

日本って、最低の国だな。もし、ぼくが、遠い外国から、この報道を知ったなら、ぼくは、日本にいなくてよかったな、と思っただろう。日本人ってのは、世界の中で、最低の国だな、と思っただろう。
いや、実際、ここ日本にいる僕は、日本人として骨身にしみる思いで言うよ、
『日本人ってのは、ホント、最低だな。』

あまり多くの見聞はないが、いじめと言うのは、世界中にあるらしい。
なぜ、いじめはなくならないか、
それは、立ち向かうべき大きな課題だろう。
『命を懸けて答えを出すのは、戦う相手が強いから』だ。
(泉谷しげる『なぜこんな時代に』より)

イジメを苦に、自ら命を絶つ、
こんな胸を締め付けるニュースを何度も聞いてきた。
イジメは、学校ばかりか、大人たちの職場へも広がっているという。
それは、人間というものに、もとから備わった性質なのか。
戦争がなくならないように。
『僕らは知りすぎてる、なぜ人が人を殺すのかもね』
(『また会おう』吉田拓郎

人というもの、完璧な神様には及ばないものだ、というところは異論のないところだろう。
それでも、イジメや戦争が心苦しいのであるならば、それを何とかしようとするのも、また人間なんだろう。

何年か前、魚に詳しい「さかなくん」が、とある新聞の取材で、こんなことを言っていた。
魚なんかを水槽に入れて飼おうとするとき、その狭き水槽の中で、よくイジメめいたものが起こると言う。
それと同じように、学校で起きるイジメの要因のひとつは、現実の社会に比べて、その教室の中は、狭苦しく、閉じられた空間であることか。
その空間だけが世界あるかのように考えてしまい、その外側に、圧倒的に多彩で広大な『世界』があることを忘れてしまう。そして、歪んだイジメのような行為に至ってしまう。
以上がさかなくんの説である。

僕はその説になんともすんなり納得できるものがあった。

いま、福島にかかわる人の、そういった報道から思うのは
災害の風化である。
それでも、放射能だとか、記憶に残っている部分もありつつ、
それが現実に何を突きつけているか、とか、
本質的なことの風化は、まぎれもなく始まっている。

いつまでも傷を残さず、癒そうとしていくのもまた真実。
だけど、忘れちゃいけないこともある。

がんばれ、日本!
と、国の内外から沸き起こったその声のあて先が『日本』であったことを思えば、
あらかに傷の癒えきっていないこのとき、そのいじめが日本の中で、日本人の手でなされていることを看過できない。

2017.2.22

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父の詩から 『自由の風』

   自由の風

急ぐ私は丸ノ内二丁目の歩道の
雨に濡れてすべる梅の絵のタイルを踏んでいく
雨は保険会社の水色のビルをぬらし
高いケヤキの街路樹をしずかにつつんでいる
雨は誰でも濡らして降るが私の生涯は
大企業の思想差別にぬれて傘もなく
降りかかるものとたたかった
差別を見ても夜の霧雨のように
無視するふりの人々の街をいく

穴切町のあたりには私の知りあいの
黒駒生まれの老婆が軒下に出て花の手入れをしている
彼女は息子一家と村を出たのだ
なつかしい故郷の黒駒村の坂道の石ころを濡らした雨よ
私の一家もすむところを探して村を出た
私が差別されると
妻や子どもも差別され
見知らぬ人々のあいだを雨にぬれて
さびしい心で歩いている

ここに差別があると
人々が無視しようともたたかいつづけるものらがいると
あれは誰の声
降りかかるのは霧雨のような
東京電力がする差別である
梅のはなは春に散るが十七年たたかって
私が踏んでいくのは雨にぬれるタイルの梅ではない
もういまは古くなった私への差別である
私が見るのはここからけむる西の山脈の
白とうす紅色のコスモスが揺れる高原の
冷たい畑を吹く自由の風である

              1993年


以上は、父、返田満(そりたみつる)の作品。
父は8年ほど前に亡くなったが、
自分が定年まで勤めた東京電力を相手に、
仲間たち(同僚)と裁判を起こし、19年の戦いののち、和解を得た。
これは、ほぼ勝訴に近い。
仕事もしながら、何度丸ノ内のタイルを踏んだことだろう。
丸ノ内と言っても、ここでは甲府市の丸ノ内のこと。
甲府銀座もあるように、城下町甲府には、やはり丸ノ内もある。

亡き父のことを思うというのも感傷的な感じだが、
何のめぐり合わせか、ボク自身、甲府の丸ノ内近くに住み、
それこそ、何度も丸ノ内のタイルを踏んでいる。

父たちの闘いは『東電思想差別闘争』と呼ばれるが、知る人は少数派だろう。
もう、闘争の中にいた父や、その仲間たちは、歳月のゆく中で
その生を終えた人が多い。
当時世界的に見ても有数の資本力を持つ大企業東京電力を相手に、
当初、ボクは、まず勝ち目はないと思っていた。
しかも自分の勤める会社相手である。
裁判までの差別もきつかっただろうが、提訴あとは推して知るべしである。
差別とは、共産党員であった父たちへの圧力である。
昇進させない賃金差別から始まって、その部署の会議に一人呼ばれない、
ある者は、結婚式などにも嫌がらせを受けたと聞く。
いわゆるレッド・パージ、アカ狩りの延長だ。
一方で、ジョンレノンやチャップリンもレッドパージの被害にあったことも思えば、
時代の勲章か?((笑))
企業にとって、共産主義思想はじゃまものであろう。
しかし、父を通して、あるいは父の詩を通して、もっとわかってくることがある。
裁判で、保身のために、平気でうそをつく同僚たち。
そういう嘘を強要するものたち。

ボクが高校生の時だった、あるとき不意に父が言った。
「お父ちゃんは仲間といっしょに、会社を相手に裁判を始めるからな」
そのことはよく覚えてはいるが、
その意味は、ほとんど分かってはいなかった。
ボクは自身の生活の中で、手いっぱいだった。
その後19年のちに、和解を勝ち得る。
日本の裁判所が、大企業ではなく、共産党員に味方した
判決を出すこと自体、信じられなかった。

当時、父に尋ねたものだ。
「どうして、東電相手に裁判をしようなんて、ほんな無謀なことができたで?」
父は、考えあぐねることなく、言った。
「仲間がいたからだ」

この「自由の風」のなかで、「私が差別されると/妻や子どもも差別され」とあるが、
私は、親が日本共産党員であること、あるいは、東電相手に裁判していることによって、
差別を受けた記憶はみじんもない。
逆に、父が文学の講師をした看護学校の教え子だった看護師の人に、病院で声をかけられたり、町会議員を長年務めた父の息子だということで、役場で丁寧な扱いを受けたり、
そんな思い出ばかりだ。
ここでいう「差別」とは、父が社宅を追われれば、それに同行せざるを得ないことを指す。

『東電闘争』あるいは『東電思想差別闘争』を知る人は少数派かもしれないが、
『自由』などは、みんな知っている。
また昨今『資本主義の行き詰まり』も感じている人は多い。
父だって、『東電闘争』という言葉を残したいなんて考えていないだろう。

『自由』ということ、『息詰まる社会を切り開く』ということ。
大事なのはそっちだ。


     2016.11.21

 

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