日記・コラム・つぶやき

なぜ、歌い続けるか、ソリタリョウ

桑田佳祐、素敵なことを言った。

『ボクらポップスたちは、ヒット曲を書かなきゃダメなんです。』

なんとも、共感しきり。
事実、ヒットメーカーであり続けた彼だからこそ、言える重き言葉。
ポップスとは流行り歌。その時代にマッチし、共感を得てこそ、である。

ボクなどは、その場末の末だが、そんな感じで作ってきた気がする。
高橋優も中西ヒロキも言うように、今を歌ってこそ、「歌うたいである」。
逆に言えば、今以外に何が歌えよう。

ちょっと想像してみる、
歌なんか、作ったりしていた人生と、作らなかった人生。
創り続けた人生と、辞めた人生。

どう考えても、前者の方がワクワクする。
明快である。

結局、そういいながら、歌にすがってきたのかもしれない。
歌だったら、なにがしかのことができるかも、と。
ボクが続けてきたことと言ったら、いかに生きるかを考え続けたことだけ。
歌を通じて―――――――。

勝俣氏が、行き詰って欽ちゃんのところに相談に行ったら、
欽ちゃんにこう言われたそうだ。
「芸はいつか行き詰まる。それより人間を磨け」と。

とりあえず、人としていかに生きるか、
できるものは、それに準じたものだけ。

だから、生きることに決めたボクは生き続けるし、
それがどういうことかは、歌を通じて返ってくる。

だから、死ぬまで書き続ける。
終活を鼻で笑いながら。

2019.1.16

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『人生において何をなすべきか』

  『人生において何をなすべきか』

 

人生において何をなすべきか、

などと大上段に構えても、

もしかしたら、なすべきは「空を見ること」かもしれない。

視覚障害なら、「風を感じること」でもいい。

かように思えば、

人生には、いくらでも「なせる」ことがある。

肝心は「なせることをなすこと」だとも思うが、

それではなんともとりとめがないようでもある。

しかし、「なせることをなすことができた人生」というものが

そこにあるとしたら、

やはりそれは、至極素敵なことなんじゃないか。

例えば、―――――風を感じ―――――――そして逝った――――。

その人生の価値をだれが云々する資格を持とう。

彼の人生は「風を感じた」ものであった。

ただその事実がある。事実というのは動かしがたいものだ。

確固としてその人生は主張するだろう。

「風を感じた」人生であった、と。

そのことは何の評価も必要としない。

ただただ、その人生の彩りを豊かに語るばかりである。

 

 

しかし、この一文に臨もうとしたとき、

私の脳裏にあったのは、「明日を掴め」という言葉だ。

小林孝一は自作の中で、明日を迎えるためには

「待ってりゃいいさ、簡単さ」とうたう。

そのうたの意義は充分認めながらも、「待っていて自然に来る明日」と

「自ら掴み取る明日」の違いを取沙汰したい。

人生は一瞬ではないから、自ずと「時の流れ」が加味される。

そして「とき」というのは決して自意識の流れと一致するばかりではない。

「ときに置き去りにされ」たり、「ふとときを忘れたり」などということがよくある。

山下達郎には「Ride on Time」などというのもある。

つまり、ボクらの意識と世界のときの流れに「ズレ」が生ずることがあるということ。

「限られたとき」の中を生きる人間たちだが、この「ズレ」というものが、大きな意味をなして現れるときがある。

「気持ちがはやって待ちきれない」とき、ボクらは「待っていないで」、「明日を掴みに行く」この時間の収縮がひとつ、人生のダイゴ味だ。

 

 

その伸縮のときを経験したものがふと風に頬を撫でられるのを感じるとき、

それは世界のときと自意識のときが触れ合う瞬間だ。

例えば、それを「実時間」と呼べば、その時こそ、それを体感する資格を得られた時なんだろう。自らの人生の実時間がそこに計り知られる。

そう考えれば、「風に吹かれた」人生と

「明日を掴みに行った人生」が大空にクロスオーバーするのを見上げるようだ。

いつだって、自分を追い越してゆく「とき」を見つめる自分の「とき」が流れている。

 

 

 

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山梨県庁の標語批判、失礼。

ちょっと言い過ぎたか。
もう過ぎ去りし9月。山梨県庁の障害者就職支援キャンペーンの標語、
「障害を越える努力と 支える職場」について。
だったら、お前、考えてみろ、
と言われたわけではないが、対案もないのに、ただ反対ではいかん、と考えた。
こんなのは、どうだ?

「気付き合い、
 補い合うから
 分かり合う」

いったい何が足りないのか、
障害者の私、あるいはあなたに。

それは、付き合い方が浅くては無理。あるいは、片方からだけのアプローチでも無理。

障害者は、何が足りないか、知ろうとする、分かってもらおうとする、
この歩み寄りに尽きると思う。
まかり間違っても、分かったふりなどしたくない、されたくない。

『分かり合うよりは、確かめ合うことだ』 (吉田拓郎~人生を語らず)

ぼくは、すべての人間というもの、障害者だというスタンスだ。
誰が神のように、完璧であろう。
不完全であれば、それこそ、障害。
その多少なんだろうな。健常者と障碍者。


 

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nifty、止められてました

nifty、止められまして
niftyメール、ブログができませんでした。
たいへん、失礼しました。

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取って置きの話

僕の母校は竜王中学校。
当時は甲斐市に統合される前の竜王町。
竜王町にあったのは、竜王小と玉幡小の二つの小学校と
それら二つから卒業生が集まる 竜王中学だった。 当時、中学校の校長先生、卒業生を一人ずつ部屋に呼んで、
記念に似顔絵を描いてくれ た。 この校長の方針で、3年間、組変えはなし。 校長先生に言わせれば、 中学の3年間というのは、一生の友人が見つかるかも知れない、
大事なとき。 だから という。 3年のとき、あることを、裏切りと感じ、 一高へは入学が決まったものの、 当時純情正義の味方、友情派の僕は、 失望ゆえ、もう高校へ行っても、友人は 作るまい、と思った。 他人と口も聞かず、親しくならず、というのは、
僕にとって、針のムシロの毎日だった その三年間、そんな調子で。。。 カナリ自分を追い詰め、精神を疲弊させていた。 その後国立九州芸術大学に現役合格のときは クラスから、どよめきが起きた。 だって、登校が苦痛だから、よくよく休んだ。 そんなやつが・・・というんだった。 大学では、気分も変わり、友も出来、
音楽活動はこの時代から始まる。 だが失恋。一週間飲み続けて、発病。 略すが、再発したりして、地元の住吉病院へ入院。 そのころ父は、こう言った。 「手続きをすれば、お金をくれるそうだけど、 しなんでおいたぞ、」 これはどういう意味なのか、最初はよくわからなかった。 しかし、僕はこんな風に思う。 「そんなものに頼るばかりの人生にするなよ。」 「病気はきっとよくなるんだから」 このことが、僕の人生を大きく左右したのは確かなんだ 俺の父は、こんな地の底の俺に、
まだ期待を寄せてくれている・・・ (つづく)・・・かな

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山梨県庁・???標語

まあ、「重箱の隅をつつく」性格ではあるが、言わせていただく。

と、申し上げれば、そうなんだ、そう自覚してるんだ、と思われても仕方ないが、

往年の名曲、海援隊『JODAN』の心もある。
すなわち、「いやいや、冗談だけどね」などと、ときに人は言うが、
『JODAN』ではこう結ぶ。

「冗談なんかで、冗談言うか♪」

去年も憤慨したが、9月の山梨県庁のキャンペーンは
「障碍者の雇用を促進する月間」だ

そのキャッチコピーは、こうである。
『障害を越える努力と 育てる職場』

さて、みなさんは、この標語を御覧になって、どう感じられるだろう。

まあ、雇用関係について、一見、「双方歩み寄り」といった感だ。

しかし、『雇用促進』においてだよ、
まず、障害者の方に、まず『その障害を超える努力をしなさいよ』
と要求してどうする!

誰が考えても、雇用促進が進まない原因は、まず職場側だ。

ふつう、そんな状況なら、労働者側に「君らの努力がもっと必要だ」
などと言うか?!
もちろん、健常者の場合のこと。
職種の専門知識についての努力は言うまでもあるまいが。

ここで、労働者側ばかりにまず、要求を突きつけるのは、
それが障碍者の場合だからである。
健常者に就活努力を要求する標語がありますか?
考えれば、すぐわかります。

そこにあるのは、雇用者側が、
「障害者は、大丈夫かなあ??」という意識そのものなんだな。

それを打ち破ろうとする標語が、
雇用者の意識をそのまま引きずっていて、どうする??
愚の骨頂・・・あーめん

だめだめ山梨県庁、クソ標語である。
 

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甲府駅・南口

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人はなぜ消える ~追悼:星野仙一~

NSPの天野さん、はしだのりひこさん、と
少なからぬ影響を受けた人の訃報は尽きないが、
星野仙一さんも逝ってしまった。

「人はなぜ消える」
とは、もう亡くなって10年になろうとする父の遺作の一部だ。

人が死ぬことを「消える」と言い表した。
その表現は珍しいが、なんとも言い当てている。

先ほどのその訃報の中で、巨人の長嶋さんのコメントがあった。
「彼はとても情熱的な方で、いつも闘志をまっすぐ燃やして来られた。
 だから、こちらも、遠慮することなく、真っ向からそれに立ち向かって行けた。
 だから、彼との戦いは、とても楽しみだったのです。」

ああ、ここにもう一人の闘士が。
長嶋さんも、星野さんを闘士ならしめたひとりである。

「遠慮なく、真っ向から立ち向かって行ける相手」
なんて素敵な言葉か。

 

 

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わおんよ、どこへ

さて、「わおん」については、前に語ったが、発展性は大きいようだ。
実際、使用できる店舗も、「ツルハ」、「ファミマ」、「ローソン」と順調に伸ばしている。

先に語ったのは、「わおん」カードは、決済が終わったタイミングなどで、「わおん」と鳴くのだが、どう聞いても「わおん(和音)」ではなく、「単音」である、という件(くだり)までだった。
この話を神楽坂のオープンマイクでMCとして用いたところ、食いついてくる若者がいた。彼曰く、
「でもカード読み取り機は『コード(和音)』でつながってますよ!」
いつの世も、『その続き』は、次の世代に託されていくんだなあ。

さて、疲れていたせいか、そのとき、
「『わおん』でお願いします」というべきところを、
「『ワイン』でお願いします。」言ってしまった。
私が甲州人だからなのか。
甲州では『ワインカード』がいいのか。

この続きも次の世代に託したいところだが、あえて考えてみれば、
支払いを『ワイン』で、ということであれば、
その後は「物々交換ですね。」ことになろうか。

わおんよ、どこへゆく。

というより、話はどこへ行く、というべきか。


 

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京都小旅行から帰って

京都小旅行から帰って

 

今年3月下旬、連れと23日の旅だった。

 

短い旅で、何が見れたというほどではないが、やはり関西弁は「あく」が強い。

たまに聞く関西弁なら、テレビで聞きなれた感もあるが、一日中、人の声がすべて関西弁というのは、かなり重い(())
日本を代表する観光地だから、それにいくらか外国語が混じる。

 

関西弁にしたって、それは、使う人の人となりなんだろうが、おばちゃんの関西弁ときたら、なんとまあ、きつい。人の悪口、愚痴を言うための方言のよう。内容と表現がぴったりなものだから、そのパワーは、恐るべし。まいった。

 

それは置いといて、もう一つ印象深いことがあった。京都市営地下鉄だったか、社内の中にあった広告。

『この電車はベビーカーもご利用できます』と大見出し。

つづいて、『周りの方は、ベビーカーに注意して、通らせてあげましょう。』と、ベビーカーの周りの人に注意を喚起。
さらに、『ベビーカーの方は、他の方の迷惑にならぬよう、注意しましょう』と、ベビーカーの側にも公平に注意を喚起。(※各文は筆者の記憶による。原文そのままではない)

 

まあ、日本の鉄道、注意書きの多いことで有名らしいが、ボクはこの注意書きには衝撃を受けた。美しいスタンス。
注意書きというものは、たいてい悪者や不注意な人に注意を促すもの。あたりまえ。たとえば、暴力はやめよう、駆け込み乗車は危険です、携帯はマナーモードに、などなどなど。

 

だけどこの注意書きは違う。ベビーカーの側にも、それを取り巻く人々の側にも、いちように注意を促している。それがとてもすがすがしい。いいものを見せていただいた。京都地下鉄。

 

「人間の尊厳とその共存」という永遠のテーマがある。

わが郷里の士、山縣大弐(やまがただいに=甲斐市・山縣神社に祀られている学者)はその本の中で、これを大きなテーマと捉えた。江戸時代のこと。時代を経て、幕末の吉田松陰などは、この本を大いに参考にしたという。

大勢の人間が住む社会の中で、自分の尊厳をしっかり守り、他者との共存をおもんぱかる。それは、とても大事でありながら、たやすくもない。

だが、この京都地下鉄の広告に、共存の理想をひとつ、垣間見た思いだ。

 

まったく、当たり前だが、お互いに注意する。

ベビーカーが電車に乗り入れることの是非を決める必要もない。

互いに思いやってください、という。

 

ありがとう、京都地下鉄。

 

 

 

 

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