日記・コラム・つぶやき

人は必ず死んでゆくという

でも、いまでもあまり信じてはいない。
周りを見渡せば、どうだろう。あいつも、あいつも、彼も、誰も、
みんな死んでいくであろう。これは信じられる。
これはあまり抵抗なく、落ちていく。

だけど、「自分が死ぬ」ことは、おいそれと信じられない。
なんか、自分が死ぬことへの実感があまりに薄い。

樹木希林さんがなくなって、彼女の著書が、たくさん本屋に並んだ。
相変わらず、積読(つんどく)、乱読、立ち読み派だが、
その著書の中に、興味深い一文を見つけた。

「もういい年になって、寿命だろう、
老衰で死ぬなんて、こんなめでたいことはないのに、
まだ押しとどめようとする。
『逝かないで、逝かないで』。」(筆者による大意)

私の母は81歳。ここへ来て、ずいぶん衰えた。
私が身近で世話など焼くものだから、甘えてしまっているのだ、
という説もある。
それもあろう。甘えてしまって、ますます衰える姿を見たいわけなどない。
ただ、単に世話したいだけ。
しかし、老齢というもの、回復するということはない。
いくら尽くせども、老齢は確実に先へと進む。

その心苦しい日々に、安心をくれたのが、樹木希林さんの先の文である。
母の老衰をめでん。
その価値ある生涯を思わん。
最後の、ほんの少しだけ、ボクは見送りに来た。
その偉大な生きざまに、ほんの小さな花を手向けるだけ。

母よ。その情けないほど衰弱した姿に
あなたの満州まで行ってきた、その生き様を重ねよう
そのたるんだしわ一つ一つを刻んだ家事を思おう。
共働きの先駆者たる夫婦の通勤時間を思い起こせ。
どうしようもなく老いぼれた者よ。

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『世界は誰かの仕事でできている』梅田悟司

このコピー、ジョージアの缶コーヒーのコピーだ。

『世界は誰かの仕事でできている』

もう5年になるらしい。2014年に登場。
これについて、書こう、書こうと思いながら、月日は過ぎた。

だけど、やっぱり書いておきたい、素晴らしいコピー。

これを創ったコピーライターさんは1979年生まれらしい。
ちなみに、ボクより20歳若い。

太陽と水と大地の仕業でなければ、それを文明と呼ぶべきか。人工の。
ボクらの生活は、そういうものなしには想定できないところに来ている。
労働力は賃金となるが、労働はそのままボクらの環境を形作ってゆく。
そこに生活し、環境に関わり続けるボクらの人生。

テレビのリモコン操作も、水道の蛇口から水が出ることも、天気予報を見ること、
朝食う食物もみんな、誰かの仕事でできている。
この発見!
誰もの生産的活動が肯定されて、ひとつの意志にまとめられるがごとく、『世界』という言葉に束ねられる。
ただ「世界を構成」するばかりでなく、ボクら全員で「世界をつくっている」。そしてその『世界』は時流に乗って、今も時間を航行している。一年後の世界も、百年後の世界も、一秒直後の世界も、ボクら「誰か」の共同産物なんである。

なんという目線。最高の一行詩だ。

人間は社会的生き物だ。
個人の能力以外に、その社会的な性質は明確かつ堅固なものである。
例えば「モラル」に生きようとし、「アウトロー」を無意識にも排斥しようとする。

ただ、それを人間の社会的性質と表現するよりは、
世界の作り手のひとりひとり、と解釈する優しい目線。
それは「仕事」である以上、人に優しいのは明瞭。

そうそう、最近『ボクの仕事は生きること』という自作を書いたが、
別の言い方をすれば、『ボクらは毎日仕事で世界をつくっている』んだなあ。

梅田悟司さん、ありがとう。


 

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なぜ、歌い続けるか、ソリタリョウ

桑田佳祐、素敵なことを言った。

『ボクらポップスたちは、ヒット曲を書かなきゃダメなんです。』

なんとも、共感しきり。
事実、ヒットメーカーであり続けた彼だからこそ、言える重き言葉。
ポップスとは流行り歌。その時代にマッチし、共感を得てこそ、である。

ボクなどは、その場末の末だが、そんな感じで作ってきた気がする。
高橋優も中西ヒロキも言うように、今を歌ってこそ、「歌うたいである」。
逆に言えば、今以外に何が歌えよう。

ちょっと想像してみる、
歌なんか、作ったりしていた人生と、作らなかった人生。
創り続けた人生と、辞めた人生。

どう考えても、前者の方がワクワクする。
明快である。

結局、そういいながら、歌にすがってきたのかもしれない。
歌だったら、なにがしかのことができるかも、と。
ボクが続けてきたことと言ったら、いかに生きるかを考え続けたことだけ。
歌を通じて―――――――。

勝俣氏が、行き詰って欽ちゃんのところに相談に行ったら、
欽ちゃんにこう言われたそうだ。
「芸はいつか行き詰まる。それより人間を磨け」と。

とりあえず、人としていかに生きるか、
できるものは、それに準じたものだけ。

だから、生きることに決めたボクは生き続けるし、
それがどういうことかは、歌を通じて返ってくる。

だから、死ぬまで書き続ける。
終活を鼻で笑いながら。

2019.1.16

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『人生において何をなすべきか』

  『人生において何をなすべきか』

 

人生において何をなすべきか、

などと大上段に構えても、

もしかしたら、なすべきは「空を見ること」かもしれない。

視覚障害なら、「風を感じること」でもいい。

かように思えば、

人生には、いくらでも「なせる」ことがある。

肝心は「なせることをなすこと」だとも思うが、

それではなんともとりとめがないようでもある。

しかし、「なせることをなすことができた人生」というものが

そこにあるとしたら、

やはりそれは、至極素敵なことなんじゃないか。

例えば、―――――風を感じ―――――――そして逝った――――。

その人生の価値をだれが云々する資格を持とう。

彼の人生は「風を感じた」ものであった。

ただその事実がある。事実というのは動かしがたいものだ。

確固としてその人生は主張するだろう。

「風を感じた」人生であった、と。

そのことは何の評価も必要としない。

ただただ、その人生の彩りを豊かに語るばかりである。

 

 

しかし、この一文に臨もうとしたとき、

私の脳裏にあったのは、「明日を掴め」という言葉だ。

小林孝一は自作の中で、明日を迎えるためには

「待ってりゃいいさ、簡単さ」とうたう。

そのうたの意義は充分認めながらも、「待っていて自然に来る明日」と

「自ら掴み取る明日」の違いを取沙汰したい。

人生は一瞬ではないから、自ずと「時の流れ」が加味される。

そして「とき」というのは決して自意識の流れと一致するばかりではない。

「ときに置き去りにされ」たり、「ふとときを忘れたり」などということがよくある。

山下達郎には「Ride on Time」などというのもある。

つまり、ボクらの意識と世界のときの流れに「ズレ」が生ずることがあるということ。

「限られたとき」の中を生きる人間たちだが、この「ズレ」というものが、大きな意味をなして現れるときがある。

「気持ちがはやって待ちきれない」とき、ボクらは「待っていないで」、「明日を掴みに行く」この時間の収縮がひとつ、人生のダイゴ味だ。

 

 

その伸縮のときを経験したものがふと風に頬を撫でられるのを感じるとき、

それは世界のときと自意識のときが触れ合う瞬間だ。

例えば、それを「実時間」と呼べば、その時こそ、それを体感する資格を得られた時なんだろう。自らの人生の実時間がそこに計り知られる。

そう考えれば、「風に吹かれた」人生と

「明日を掴みに行った人生」が大空にクロスオーバーするのを見上げるようだ。

いつだって、自分を追い越してゆく「とき」を見つめる自分の「とき」が流れている。

 

 

 

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山梨県庁の標語批判、失礼。

ちょっと言い過ぎたか。
もう過ぎ去りし9月。山梨県庁の障害者就職支援キャンペーンの標語、
「障害を越える努力と 支える職場」について。
だったら、お前、考えてみろ、
と言われたわけではないが、対案もないのに、ただ反対ではいかん、と考えた。
こんなのは、どうだ?

「気付き合い、
 補い合うから
 分かり合う」

いったい何が足りないのか、
障害者の私、あるいはあなたに。

それは、付き合い方が浅くては無理。あるいは、片方からだけのアプローチでも無理。

障害者は、何が足りないか、知ろうとする、分かってもらおうとする、
この歩み寄りに尽きると思う。
まかり間違っても、分かったふりなどしたくない、されたくない。

『分かり合うよりは、確かめ合うことだ』 (吉田拓郎~人生を語らず)

ぼくは、すべての人間というもの、障害者だというスタンスだ。
誰が神のように、完璧であろう。
不完全であれば、それこそ、障害。
その多少なんだろうな。健常者と障碍者。


 

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nifty、止められてました

nifty、止められまして
niftyメール、ブログができませんでした。
たいへん、失礼しました。

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取って置きの話

僕の母校は竜王中学校。
当時は甲斐市に統合される前の竜王町。
竜王町にあったのは、竜王小と玉幡小の二つの小学校と
それら二つから卒業生が集まる 竜王中学だった。 当時、中学校の校長先生、卒業生を一人ずつ部屋に呼んで、
記念に似顔絵を描いてくれ た。 この校長の方針で、3年間、組変えはなし。 校長先生に言わせれば、 中学の3年間というのは、一生の友人が見つかるかも知れない、
大事なとき。 だから という。 3年のとき、あることを、裏切りと感じ、 一高へは入学が決まったものの、 当時純情正義の味方、友情派の僕は、 失望ゆえ、もう高校へ行っても、友人は 作るまい、と思った。 他人と口も聞かず、親しくならず、というのは、
僕にとって、針のムシロの毎日だった その三年間、そんな調子で。。。 カナリ自分を追い詰め、精神を疲弊させていた。 その後国立九州芸術大学に現役合格のときは クラスから、どよめきが起きた。 だって、登校が苦痛だから、よくよく休んだ。 そんなやつが・・・というんだった。 大学では、気分も変わり、友も出来、
音楽活動はこの時代から始まる。 だが失恋。一週間飲み続けて、発病。 略すが、再発したりして、地元の住吉病院へ入院。 そのころ父は、こう言った。 「手続きをすれば、お金をくれるそうだけど、 しなんでおいたぞ、」 これはどういう意味なのか、最初はよくわからなかった。 しかし、僕はこんな風に思う。 「そんなものに頼るばかりの人生にするなよ。」 「病気はきっとよくなるんだから」 このことが、僕の人生を大きく左右したのは確かなんだ 俺の父は、こんな地の底の俺に、
まだ期待を寄せてくれている・・・ (つづく)・・・かな

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山梨県庁・???標語

まあ、「重箱の隅をつつく」性格ではあるが、言わせていただく。

と、申し上げれば、そうなんだ、そう自覚してるんだ、と思われても仕方ないが、

往年の名曲、海援隊『JODAN』の心もある。
すなわち、「いやいや、冗談だけどね」などと、ときに人は言うが、
『JODAN』ではこう結ぶ。

「冗談なんかで、冗談言うか♪」

去年も憤慨したが、9月の山梨県庁のキャンペーンは
「障碍者の雇用を促進する月間」だ

そのキャッチコピーは、こうである。
『障害を越える努力と 育てる職場』

さて、みなさんは、この標語を御覧になって、どう感じられるだろう。

まあ、雇用関係について、一見、「双方歩み寄り」といった感だ。

しかし、『雇用促進』においてだよ、
まず、障害者の方に、まず『その障害を超える努力をしなさいよ』
と要求してどうする!

誰が考えても、雇用促進が進まない原因は、まず職場側だ。

ふつう、そんな状況なら、労働者側に「君らの努力がもっと必要だ」
などと言うか?!
もちろん、健常者の場合のこと。
職種の専門知識についての努力は言うまでもあるまいが。

ここで、労働者側ばかりにまず、要求を突きつけるのは、
それが障碍者の場合だからである。
健常者に就活努力を要求する標語がありますか?
考えれば、すぐわかります。

そこにあるのは、雇用者側が、
「障害者は、大丈夫かなあ??」という意識そのものなんだな。

それを打ち破ろうとする標語が、
雇用者の意識をそのまま引きずっていて、どうする??
愚の骨頂・・・あーめん

だめだめ山梨県庁、クソ標語である。
 

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甲府駅・南口

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人はなぜ消える ~追悼:星野仙一~

NSPの天野さん、はしだのりひこさん、と
少なからぬ影響を受けた人の訃報は尽きないが、
星野仙一さんも逝ってしまった。

「人はなぜ消える」
とは、もう亡くなって10年になろうとする父の遺作の一部だ。

人が死ぬことを「消える」と言い表した。
その表現は珍しいが、なんとも言い当てている。

先ほどのその訃報の中で、巨人の長嶋さんのコメントがあった。
「彼はとても情熱的な方で、いつも闘志をまっすぐ燃やして来られた。
 だから、こちらも、遠慮することなく、真っ向からそれに立ち向かって行けた。
 だから、彼との戦いは、とても楽しみだったのです。」

ああ、ここにもう一人の闘士が。
長嶋さんも、星野さんを闘士ならしめたひとりである。

「遠慮なく、真っ向から立ち向かって行ける相手」
なんて素敵な言葉か。

 

 

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