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SNSの友人を切る。あるいは、SNSのルールについて。

SNS、たとえばmixiやfacebookの友達っていうものは、やたら切ったりしないものだろうか。

現実社会では、友人を切るとは、いわば絶交のようなもので、縁を切りたいようなことがあった時に、そうなるだろう。
では、SNSは、現実社会とおんなじか。

SNSも、人と人のコミュニケーションを担うツールの一つであるが、この歴史はごく浅い。例えば、伝統が継がれているか否かは置いておいても、手紙などは、そのルールが歴史の中で熟成してきた。
しかし、電子メールやSNSなどは、ホンのこの間、始まったばかり。使い方さえ知らない親は、子供たちに、その使い方のルールなど説けるはずがない。
かくて、SNSなんぞは、まだまだ未成熟のツールだ。
その確たるルールを誰が主張できよう。

ボクは、SNSでは、かなりバサバサ、友人を切ってしまう。
その思いは、たいてい「絶交」というわけではない。
例えば、現実社会なら、この人とはしばらく会わなくてもいいな、とか、距離が必要だな、とか、意識的、無意識にかかわらず、感じたならば、その人に会わずにいることは、結構たやすかったりする。しかし、毎日パソコンを開く習慣のなか、SNSで、会いたくない人に会わずにいることが、困難な時もある。
もちろん、コメントを見る程度で、「会う」のではないが、そのコメントを表示してほしくない時がある。
SNSには、どれもそういう機能があるのかもしれないが、そのへんの通でもない。
これで、友達を切ってしまっても、ボクにすれば、「絶交」などは意味しない。

どんな親友であろうが、距離は必要。
それが、いま、「絶交」ではない「SNSの友達を切る」という行為になることを、わかってほしい。

これは噂に過ぎないが、ボクが切ったことによって、かなり立腹したという話も聞いたことがある。
ただ、ボクの側から言わせていただけば、そんなに忌み嫌ったわけではない。

SNSの友達を切ることが、絶好を意味するというルール、あるいはコンセンサスは、もう確立しているのだろうか。
さらに言えば、SNS側は、「友達を切る」という機能を、どんなシチュエイションで使われると想定しているのか、ぶっちゃけたところを聞いてみたい。


ボクの友人は、最近、新しいデジカメを手に入れ、facebookのアルバムに、楽しそうにアップしていたのだが、そのアルバムに写っていた人が、許可なく写真をアップした、と言って立腹して、友達を切るのはもちろん、そのSNSでアクセスブロックをかけて、写真をアップしたボクの友人が、コンタクトをとることさえできなくしてしまった。
いい年の大人らしい。

SNSのルールがない以上、それもまた自由。
しかし、一度は注意する程度にして、二度三度繰り返すようなら、強硬手段も、というのが、常識に思えてならない。
これが「友人を切る」とか、「アクセスブロック」の使い方だろうか。

ボクの「友達を切る」という行為も、こんなニュアンスに取られても仕方ない、ということかもしれない。

SNSが成熟するのにどれくらいかかるのか。SNS自体も変化する中で、それを考えるのは、とても難しい。

でも、その成熟のために、何かの基準、足がかりといったものは必要だし、
誰しも、それはおぼろげに見えていると思う。

コミュニケーションとは何か。
何のために他人と付き合うか。
どんなふうに他人と付き合うか。

今の流行言葉ではないが、
「つながる」とは何か。

「つながろう」キャンペーンもいいが、それだけに終始して、言葉が形骸化しないことを願う。
きっと、ほんとうは、ボクも、あなたも、その本質に気づいているんだとは思う。

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