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2016年11月

父の詩から 『自由の風』

   自由の風

急ぐ私は丸ノ内二丁目の歩道の
雨に濡れてすべる梅の絵のタイルを踏んでいく
雨は保険会社の水色のビルをぬらし
高いケヤキの街路樹をしずかにつつんでいる
雨は誰でも濡らして降るが私の生涯は
大企業の思想差別にぬれて傘もなく
降りかかるものとたたかった
差別を見ても夜の霧雨のように
無視するふりの人々の街をいく

穴切町のあたりには私の知りあいの
黒駒生まれの老婆が軒下に出て花の手入れをしている
彼女は息子一家と村を出たのだ
なつかしい故郷の黒駒村の坂道の石ころを濡らした雨よ
私の一家もすむところを探して村を出た
私が差別されると
妻や子どもも差別され
見知らぬ人々のあいだを雨にぬれて
さびしい心で歩いている

ここに差別があると
人々が無視しようともたたかいつづけるものらがいると
あれは誰の声
降りかかるのは霧雨のような
東京電力がする差別である
梅のはなは春に散るが十七年たたかって
私が踏んでいくのは雨にぬれるタイルの梅ではない
もういまは古くなった私への差別である
私が見るのはここからけむる西の山脈の
白とうす紅色のコスモスが揺れる高原の
冷たい畑を吹く自由の風である

              1993年


以上は、父、返田満(そりたみつる)の作品。
父は8年ほど前に亡くなったが、
自分が定年まで勤めた東京電力を相手に、
仲間たち(同僚)と裁判を起こし、19年の戦いののち、和解を得た。
これは、ほぼ勝訴に近い。
仕事もしながら、何度丸ノ内のタイルを踏んだことだろう。
丸ノ内と言っても、ここでは甲府市の丸ノ内のこと。
甲府銀座もあるように、城下町甲府には、やはり丸ノ内もある。

亡き父のことを思うというのも感傷的な感じだが、
何のめぐり合わせか、ボク自身、甲府の丸ノ内近くに住み、
それこそ、何度も丸ノ内のタイルを踏んでいる。

父たちの闘いは『東電思想差別闘争』と呼ばれるが、知る人は少数派だろう。
もう、闘争の中にいた父や、その仲間たちは、歳月のゆく中で
その生を終えた人が多い。
当時世界的に見ても有数の資本力を持つ大企業東京電力を相手に、
当初、ボクは、まず勝ち目はないと思っていた。
しかも自分の勤める会社相手である。
裁判までの差別もきつかっただろうが、提訴あとは推して知るべしである。
差別とは、共産党員であった父たちへの圧力である。
昇進させない賃金差別から始まって、その部署の会議に一人呼ばれない、
ある者は、結婚式などにも嫌がらせを受けたと聞く。
いわゆるレッド・パージ、アカ狩りの延長だ。
一方で、ジョンレノンやチャップリンもレッドパージの被害にあったことも思えば、
時代の勲章か?((笑))
企業にとって、共産主義思想はじゃまものであろう。
しかし、父を通して、あるいは父の詩を通して、もっとわかってくることがある。
裁判で、保身のために、平気でうそをつく同僚たち。
そういう嘘を強要するものたち。

ボクが高校生の時だった、あるとき不意に父が言った。
「お父ちゃんは仲間といっしょに、会社を相手に裁判を始めるからな」
そのことはよく覚えてはいるが、
その意味は、ほとんど分かってはいなかった。
ボクは自身の生活の中で、手いっぱいだった。
その後19年のちに、和解を勝ち得る。
日本の裁判所が、大企業ではなく、共産党員に味方した
判決を出すこと自体、信じられなかった。

当時、父に尋ねたものだ。
「どうして、東電相手に裁判をしようなんて、ほんな無謀なことができたで?」
父は、考えあぐねることなく、言った。
「仲間がいたからだ」

この「自由の風」のなかで、「私が差別されると/妻や子どもも差別され」とあるが、
私は、親が日本共産党員であること、あるいは、東電相手に裁判していることによって、
差別を受けた記憶はみじんもない。
逆に、父が文学の講師をした看護学校の教え子だった看護師の人に、病院で声をかけられたり、町会議員を長年務めた父の息子だということで、役場で丁寧な扱いを受けたり、
そんな思い出ばかりだ。
ここでいう「差別」とは、父が社宅を追われれば、それに同行せざるを得ないことを指す。

『東電闘争』あるいは『東電思想差別闘争』を知る人は少数派かもしれないが、
『自由』などは、みんな知っている。
また昨今『資本主義の行き詰まり』も感じている人は多い。
父だって、『東電闘争』という言葉を残したいなんて考えていないだろう。

『自由』ということ、『息詰まる社会を切り開く』ということ。
大事なのはそっちだ。


     2016.11.21

 

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