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「歩きスマホ」はやめましょう

『歩きスマホ』は危険であるから、止めましょう、ということなんだな。
近年、日本では、これが結構トレンドだ。

諸外国でも、同じなのか。
日本が特に騒いでいるのか。

ひと昔前、外国から来日した方々の言い分で、
「日本の標語の多さに驚く」、という話を聞いたことがある。
『黄色い線の内側に‥‥』
「駆け込み乗車は‥‥』
『車内での携帯電話の‥‥』
等々。

これが特に日本的だとしたら、なぜだろう。

●まず、そういう注意を喚起しないと、人々はすぐ堕落するから。
●あるいは、そのマナー等を知らない?

そういう注意を書くことによって、マナー等を守る人が増えてくるのか

では、逆に、諸外国で、そういう注意書きが少ないとしたら、なぜだろう。
●彼らが自立していて、注意は必要ないか
●あるいは、そう表記があっても、なくても、守らない人の数は変わらない、という認識か?

こんな話も聞いた。
日本人は世間を歩くとき、ちょっと安心しきっていて、
自分で自分の身を守る、という自覚が薄いのか。

車道を横断しようとしている老人の方々の中に、
「止まるのは車の方」と、鼻から高をくくっている感じも多い。

盗難にしても、日本人は、危機感が薄い。
テーブルや椅子の確保のために、平気で荷物を置いてゆく。
ひとつは、やはり、「治安のいい国」ということもあろう。

さて、では『歩きスマホはやめましょう』と言われて、
どれだけの危険が回避されたのだろう。
または、言われないと、そのことに気づけないのか。
『歩きスマホの危険』は、本人以外にも及ぶ悪行だが
自分自身の危険性も大きい。

スマホ自体、人間史上なかったものだから、対処にまだ戸惑っているのかもしれない。

とはいえ、r『歩きスマホによって、身に危険が迫る』ことに気づかない、としたら、
ちょっとおかしくないか。
これは、「生命体」としてどうなんだろう。
「生き抜く力」が足りないと言えないか。

そういう世話を焼かれないと、人というものは生活できない存在なのだろうか。
それでいいんか。

 2016.10.21

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