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神経症と時間軸について (覚書(おぼえがき))【長文注意!!】

先日、SNSFacebook)へ、コメントとして、

「神経症の原因のひとつは、肉体的な病状もあるが、同時に自身の中の『時間軸のゆがみ』ということがあると思っている」

と書いた。
それについての問い合わせがあったわけでもないが(())
覚書(おぼえがき)として、少し書いておきたい。

この文章の根拠については、ボク自身の経験がほとんどで、他人の症例を参考にしたわけではない。
しかし、主治医と相談しながら、薬の摂取をやめることに成功し、6年が経過する今、覚書としてここに記す価値はあると思っている。

ボクの病名は「統合失調症」というもので、この病気の症状の一つに「幻聴」といったものがある。
「聞こえるはずのない声」が「聞こえて」しまう。

もうかなり回復期に入っていたのかもしれないが、幻聴との「闘い」において思い出すのは、その幻聴がどこから聞こえくるのかを、よくよく聞いてみること。
すなわち、だれか他者が自身の外から語りかけているのか、はたまた自身の中からなのか。

横道にそれるかもしれない」が、
「自分」とは、いったいどこまでの範囲のものか。
いつか書店で見かけた本は『自分と世界の境界』という風なものだった。
そんな本も存在するくらい、この種の命題は簡単なものではないと思う。

「テレビに心を奪われる」というような表現があるが、それは「まるで自身の魂が、肉体を離脱して、テレビに飛んで行ってしまうようなニュアンスである。
あるいは、「雲のさまに魂を奪われたような気持ちだ。」という表現も、
「雲」という他者に、魂を持っていかれたようだということだ。
そのとき、まるでテレビや雲も、自分の一部であるかのごとくである。

また、
食べ物の摂取や呼吸。
明らかに他者であった飲食物や空気は、その流れの中で、いつしか自分に変わっている。

自身に変わったのは、その流れの中のどの時点か。
ソシャク、消化、吸収などの、どの段階か。

 

そんなことまで考え併せてみれば、自分と自分を取り巻く環境とのボーダーというものは、普段はさほど自覚されていないだろう。
いわゆる『健全』な精神であれば、その思いが、雲と雲の合間や、宇宙空間をさまよおうが、それはそれで、素敵なことなんだろう。

さて、病中において、もし、自己の枠がはっきり意識されていて、明らかに、幻聴が自分自身から生まれているということに気が付けたら、これは、幻聴に対する闘いにおいての『ほとんど勝利』なんだろうと思う。

まあ、それを初歩段階として、
まず、幻聴自体、自分で無意識な感じで生み出していると確信できれば、
次に「無意識の声」が生まれくる家庭に着目したい。
何らかの文脈をもって、それらは生まれくるに違いない。

深層意識というものは、まさに『深層』というごとく、意識上には表れにくい。

しかし、ある意味「訓練」のようななかで、深層に近づくことができるようになると考える。その無意識の深層のテーマは、だいたいこうだ。

「いかに自分が気にしている弱点を突くか」
「そういうセリフ(幻聴)が効果的である『舞台』が整う瞬間を見逃さぬよう、そのタイミングを窺っている」というか、あるいは「自分自身で、これもたぶん無意識に、そのセリフの似合う舞台を整えてしまっている」のだろう。

それらは、すべて自分自身がなしていることである。
「誰かが自分のことを噂してるんじゃないか」
「ちょっと聞いてみよう。なになに」

「ほらやっぱりだ。あんなことを言ってる。」

このような流れ(文脈)こそ、先に記した「ゆがんだ時間軸」の一例だ。
つまり、「幻聴」にさいなまれる患者は、自身によって、幻聴の舞台をセッティングしては、自身でせりふの脚本を書くのである。

そして自分の時間軸でそれを遂行し、完璧なまでの自己攻撃を成し遂げる。

ボクらの「時間」は、「待って」いれば、無意識が幻聴を浴びせくる。
だから、そのまえに、自分の時間を揺り動かして、自分の『意識的』な意思による時間軸の前進をするべきなんだ。

 

プラス思考、マイナス思考などという表現があるが、
その種の、思考タイプの違いというものがあろう。
極端に言えば、
悪い方、悪い方へと転んでいこうとするタイプ。
あるいは、愉快な方へ、愉快な方へと転じてゆくタイプ。
幻聴などは、前者だろうが、
幻聴を打ち砕くための最終的な段階は、
自身の時間軸の中で、幻聴が生まれくるのを待つようなスタンスでなく、
別の、生き生きとしたシナリオに塗りかえてやろう、ということだ。
『訓練』等によって、自身の深層心理を見えやすくして、その闇に光を当ててやる、自身の命の躍動を注ぎ込む。
「誰か、私のことを噂してる」
という思い付きに対し、
自分というものの境界を自覚し、
ほんとうに実体のあるはずの噂の主()はどこか、と自身の外部に耳を澄ませる。

すると、その主(ぬし)自体がねつ造だったと気づく。自身によるねつ造だ。
あるいは、その幻聴を呼び込むシナリオを、常に別件の愉快で積極的なものと入れ替える。
愉快なこと、積極的なこと。
夢のこと、楽しいこと、おいしいこと‥‥
幻聴のシナリオのみを待たなければならない必要はない。
無限のシナリオが可能だろう。
それが無限の未来ということ。

とりあえず、覚書。
特に「幻聴」ということでまとめたが、ほかの諸症状にも、あてはまることは多いと思っている。

 

ロシアの文豪、トルストイにこんな名言があるそうだ。

『進むのは我々の方だ。時間ではない。』

我々が進もうが、時間が進もうが、同じことなんだろうが、

何も存在しない世界でも、そこに時間は流れるか。流れても、流れた証拠がつかめるか。

 

われわれの意識というものは、進ませる意思がなければ「次」には行けない。
それが『我々が進む』ということ。
ただ時間の流れに任せて‥‥

ということもあるだろうが、「停滞は後退」という言葉もあったが


 「進み続けた」人生でありたい。


 

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コメント

長文でしたが、読ませていただきました。

とても興味深い内容です。

過去にも書きましたが、ワタシも精神疾患を患っていて幻聴・幻覚は毎日のようにありました。

ワタシの場合、悪口と言うよりも「死ね」とか「死んだ方が楽だよ」と言う自殺を勧める?幻聴でした。

今になってみれば、自分自身の『心の声』なのですが、まあ最初はしんどかったです。四六時中聴こえるんですもん。しかもワタシの病気の場合『解離性同一性障害』なので、それが他の人格の声かもしれなくて、ますますパニックに。
それプラス幻覚。幻覚は虫が見えるというよくある?ものから、自分の死体が転がっているというグロテスクなものまで。

よくまあ、耐えられたな(耐え切れず自殺未遂したけどw)と思います。

ソリタさんが言うように、大切なのは『その声がどこから聞こえて、誰のものなのか』というのをしっかり認識することですね。

ワタシの克服方法は周りの人に「訊く」ことでした。
「今、誰か死ねって言った?」とか「ワタシはいない方がいいって言ってる?」とか。
もちろん、病気のことをわかってくれている人でなければ、怖がられて無理ですけど。

「言ってないよ。大丈夫。誰の声かきちんと聴いてごらん」

何度かそういうやり取りを繰り返しているうちに、徐々にそれが『自分自身の心の声』だということがわかるようになりました。幻覚も然り。

言葉にすると簡単ですが、実際は大変な作業です。でも、自分自身に勝たなくては。

さすがに幻覚はなくなりましたが、今でも鬱に入ると幻聴が聴こえるときがあります。そんなときは深呼吸。慌てず、ゆっくりと声を聴きます。

それから、マイナス思考へ進んでいる方がこれを読むことがあるならば、一言。

「病気だから仕方ない」とか「病気だから多目に見てよ」とかそんなものはただの言い訳です。本気で治す気があるならば、病気のせいにしてはダメ。それではいつまで経っても克服できません。

とかこんな偉そうな口利いてますが、ワタシもまだ『完治した』という太鼓判はもらっていません。ただ『症状が出ない』だけです。

けど、なるべくポジティブに生きてますよ。生きてればなんとかなる!

……長文な上によくわからないコメントになりました。スイマセンm(_ _)m

とにかく、自分自身を信じて、三歩進んで二歩下がるでもいいから、前へと進みましょう!

でわ、さらばじゃ!(笑)

投稿: 由伊 | 2016年10月20日 (木) 10時18分

--------言葉にすれば簡単だけど、実はとてもきつい作業--------

その通りだね。
そんなにたやすければ、医者も薬もいらんね。

ほんとうに、由伊ちゃんの言うように、まずは、「自分は、絶対この状況から、抜け出すんだ」という強い思いだと思う。

待つんじゃなくて、手に入れに行く。
これは大事だと思う。

大体の夢や希望は、そうやって叶うんだろう。
たやすくないと知りつつ、でもやってみなきゃ、その大変さの度合いもわからない。
でも、トライする価値は十二分にあるだろう。

安定剤を常用しながら、朝起きるのはつらい。でも、夕刻からの塾教師なら、昼まで寝てられる。今は亡き父は、「手続きすれば、お金をくれる制度もあるそうだが、手続しなんだぞ」と言っていた。長く続いても3年ぐらいだったが、仕事というものにしがみついた。それは、小さかったが、唯一の自己証明だったから。

くしくも、薬の服用をやめていくのを指導してくれた主治医が、「あなたは、ちゃんと仕事を探したり、そういう意思を感じたから、大丈夫だと思った」とおっしゃってくれた。

まあ、何事によらず、そういうことかもしれない。

投稿: ソリタリョウ | 2016年10月23日 (日) 15時58分

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