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2016年1月

今年の年賀状に代えて

いやあ、
ものぐさなので、結局、今日になっても、年賀状、出しとらん。

まあ、最近は、出さない人も多いらしいけどね。

でも、こちとら、出すつもりで、賀状はもちろん、文句まで仕上げて、
まだ出してない。
かっこ良すぎ。

もう出さん。ネット上で失礼する。

*******2016年の年賀状をあなたへ******

 

例えば、

この新春の青い空

雲ひとつ見えない、一面の青

それが、キミに見えるか

キミの心にちゃんと映っているか

 

透明人間は、何も見ることができないという

透明な体、透明な眼球や視神経

透明では、光を受け止めるスクリーンにはなれないからだという

さすれば、

透明な心なども、いらないね

私の現実を、より現実的に感じるために

凛と私らしく

色濃く、色濃くあらん

 

日々ちがう空の色

見上げるのは、

日々ちがう私の色

相互いに深まる

鮮やかなる新春の色

それは、

大自然の偉大なるもてなしでありつつ

同時に、

何よりキミという感性が

新たな人生の節目に際して

ますます命を、色濃く染めるから

 

昨日とも、去年とも違う、

輝かしき、その燃焼よ

 

  

******************
本年もよろしくお願いします。


 

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世界を変えることは、できますか?

『世界を変えることは、できますか』

この言葉は、いろんなところで、何度か見かけたことがある。

Eric Crapton の歌がある。
あるいは、音楽仲間のO君から推薦してもらったDVDの映画、
『Pay Forward』(邦題は失念)の中で。
はたまた、これもDVDで見たのだが、日本の連続テレビドラマで、
いじめをテーマにしたもの。女の子がいじめられて、最終的に死んでしまう話の中、
物語冒頭に、彼女が言う。
『世界を変えることは、できますか』

『変わりゆく世の中』という一方、『何にも変わっちゃいねえじゃん』
ということも多い。
マスコミで、ブログで、酒場で、
あちらこちらで聞こえる、正論たち。

「もう学歴社会じゃないんだよ」
「お金よりも、大事なものがあるんだ」
「心の時代だよ、モノの時代は終わったよ」
「戦争反対、戦争反対、戦争反対・・・・」

そういった『正論』が、世の中では、こんなに大手を振って歩いているのに、
それらに対する、有力な反論も見えないのに、
どうして世界は変わっていかないんだろう?

ボクら、世界を変えたいなら、もう『正論』で立ち止まっているばかりじゃだめだ。
そんなことが見え始める。

『正論』はやはり、言葉。
『正論』の裏打ちなどなくても、
金を大事にしている人たちがいる。
戦争を推進しようとしている人たちがいる。
学歴社会で、ふんぞり返っている人たちがいる。

そこに、背景となる彼らの『正論』が、どこにも見当たらなくても、
彼らは、黙って実践している。彼らの本音は、実践という形で現れる。
ボクらの『正論』と戦うことの無意味さをよく知っているから。

なら、ボクは思う。
正論はもう十分だ。
その実践を積み重ねていきたい。

本当に大事なものを信じてできた人生と喜びを。
理論でなく、生きざまを。



 

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政治の話題  『孫子の代まで、謝り続ける』

 

阿部さん、『戦争法樹立』ということで、かなりたたかれている様子もあるが、
『慰安婦問題について、孫子の代まで謝り続けるということは、なくしたい』
という趣旨のもと、韓国と同意を得たのは、ひとつ、功績だと評価したい。

もちろん、時間が過ぎたからと言って、過去の汚点を消してゆくべきではない。
だけど、この問題に関して、韓国は、日本に対して、忘却しそうなので反省を喚起する、
というよりは、ただ外交の手札に使っているように見えた。
そこに、本来の視点とのずれを感じている人は多かったと思う。
それでも、百歩譲って、根源的な怒りが消えうせない、とするのなら、
加害者はどうなすべきか。
まず、第一感が、日本側がきちんと謝っていないのではないか、
うやむやのまま、けじめがついていなかったのではないか、という疑い。

政府の見解としては、賠償金も過去に払って、けじめはついているということらしい。
しかし、こういうことのけじめというのは、難しかろう。
経済的な賠償が、いちばん思い当たる償いではあるが、
『同じ道をたどらない』という反省もある。

前述の『戦争法』といった、わが国与党の動きを見れば、
『そこに反省は生きているか』と責められても仕方ない。

ボク自身は、日本国民の意識として、『戦争を忌み嫌う』というのは、
まだまだ多数のように見える。
これについては、世界中に胸を張りたい。

ただ、もう一度、阿部さんの想いに立ち返ってみると、
『孫子の代まで、謝るようなことはさせない』と言いながら、
じゃあ、対アメリカとの関係は、どうなんだ?? と聞きたい。

どう見たって、隷属関係。物言えぬ相手。
これは、孫子の代まで続いていいのか。

阿部さん、右寄りなら、きっとよく分かってくれるだろうが、
対アメリカの態度の中、ボクら日本国民の誇りは、どう考えればいいの?

孫子の代まで続かせますか?
と聞きたいのです。


  

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『生まれたばかりの』

もしこのオレが、
たった今生まれ落ちたとしたなら、
オレはこんな風だろう

お日様というのは、暖かいんだな
お日様は、とてもまぶしいな
この瞼(まぶた)の間に、容赦なくも優しく、
入り込んでくるなあ

これがこの地球にそそぐ太陽の光だ
オレの生まれたこの星に
このオレを生ませた力だ

とっさに
子供たちが駆け抜ける
朝の歩道
なんと雄弁なその躍動

そしてやっとそのとき気づくんだ
オレは生まれたばかりなんかじゃない
ずっとずっと、ここにいた
あの子らの躍動は
オレの中にもしっかりあって
その記憶が、こんなにも蘇る時がある
その波の高低が
またオレの命を揺さぶったりする
こんな朝


 

2016.1.10

 

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「託すもの」

『雨ニモ負ケズ』
と綴るとき
詩人は知っていただろう
今にも負けそうな弱い自分を
負けそうな自分を、ようく見据えて
固い決心をこめて、彼は記す
雨ニモ負ケズ

『決してあきらめはしない』
と歌い上げれば
そこにあるイメージに
すぐにでも折れてしまう自分
ふとあきらめてしまう自分がいる
決してあきらめてこなかった、強固な意志は
あきらめないと、歌わない

『自由にさすらうんだ』
という、遥かな願いは
この日常のしがらみを良く知っている
がんじがらめの毎日が
自らを不自由に縛りつける
そのことを正面から受け止めている
ホントウに自由な魂は
自由に憧れないだろう

『もっと、もっと、精一杯の生き様を』
そう思う日々は
隙あらば手を抜いて
要領も良くなって
生活に慣れてきた自分を良く知っている
この方が楽だ
こうやれば速い
この方が簡単だ
そんな知恵どもは
楽をしたいがためでなく
もっと人生の中心へと
そのコアへと
近づくための時間とヒントをくれる
この繰り返しのような日常から
隠れた真実を見つけるために
またひとつ、シフトするんだ

2016.1.1

 

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