« 2014年11月 | トップページ | 2015年1月 »

2014年12月

「『満天の星』をかいたころ」 星の語り部10周年に寄せて

少し前、『星の語り部』という、山梨県立科学館つながりの市民グループで、 アクティブに活動していた。これが10周年を迎え、記念誌を出すというので、 次の文を寄稿した。

これを書いてみると、実に、この文を書く機会に恵まれて良かったと思う。ありがとう。

「満天の星」を書いたころ

 ボク自身が作詞作曲をした最初は19歳の時だが、
 「満天の星」は、確か30代に作ったと思う。
 ちなみに、今55歳(笑)。

 しかし、その最初のモチーフは、たぶん中学生ぐらいに遡る。
 みんな、学校などで、自分が地球という球形の惑星に住んでいること、
 れが太陽の周りを回る太陽系の一つだということ、
 さらに太陽系は銀河の一つ(天の川銀河)に属すこと、
 といった知識を得る。

 覚えているのが、学校用のノートの裏表紙などに、住所として、
 「宇宙 銀河系 太陽系 地球 日本 山梨県‥‥」 などと記したものだ。
 それはもちろん知識にとどまらず、少年のイマジネーションを大きく育てた。
 誰も似ていると思うが、自分のいる地球、そしてその外側の広大な空間、
 果てしない宇宙という広がり、
 そういうものを想像する、心の中にそのイメージを初めて構築してみるとき
 というものがある。
 いまや、大人になって、そのような宇宙のイメージというものは、
 まったく当たり前のことのようであるが、
 実は、そのように初めて宇宙のイメージを思い描いたその頃の方が、
 よっぽどリアルな実感を伴った「宇宙」ではなかったか、と思う。
 ボクらは日々の生活の中、大小さまざまな課題をこなし、 あるいは戸惑い立ち止まったりしながら、
 宇宙なんぞをイメージしない時間も多くある。
 それは「常識」という言葉に片づけられ、実は、まったく見失っていたりする。
 憲法9条の解釈はどうなんだ、人類と戦争は切り離せないのか、  と地球規模の視野に広がった現代人も、
 いつもいつも「宇宙のイメージに」届いているわけではないだろう。

 さて、中学生の少年は、そのころ、いわゆる「自分の存在」を自覚する。
 「自分とは何か」という自意識は、自分の存在意義、 人間の正体、他者との関係、 というような、答えの用意されていない、 だが、もっとも重要な問題意識を持ち始める。
 それらもまた「宇宙のイメージ」と同様、 大人になっても、それらの問題意識を常に正面に据えて 立ち向かう人はごく少数だろう。
 もしかすれば同じく、いわゆる思春期こそ、問題は最もリアルだったかもしれない。
 
 「孤独」という言葉がある。それはマイナスのイメージが強いが、
 「孤高」などという時、なにかしら崇高なニュアンスもある。
 
 
 そのとおり、ぼくらは「孤独」でさみしくて、「孤独」として自立する。
 少年は、この人間社会、他者との関係の中で、 「孤独」ということを思い始める。
 
 しかし、「宇宙」というイメージが、「孤独」という意識をさらに変革する。
 この『地球』という惑星だけに散らばる人間たち。
 この惑星の外に広がる、 果てしない空間。おそらくは漆黒の空間。
 ボク個人の「孤独」は、人類という「命の種としての孤独」へと 二重になっていった。
 
 この宇宙のどこかに『知的生物』はいるか、 という宇宙業界でよく言われる興味深い疑問は、
 この「命の種としての孤独」に根ざしているのかもしれない。
 
 しかし、当時、そんなことを共感する友もなく、少年は、その「思い」さえ、
 人類の中、自分一人のものかと思っていた。
 
 
 まさにそのタイミングだったと思うが、 当時封切りされたSF映画「未知との遭遇」の宣伝キャッチ・コピーに驚いた。
    「We are not alone.」。
 監督は、スチーブン・スピルバーグ氏。
 なんと、同じ思いを持つ人がいた。
 スピルバーグと同じだ、なんて、まことに不遜に聞こえるかもしれないが、  百万の味方を得た想い‥‥だったような気がする。
 とにかくうれしかったのは事実だ。
 
 
 しかし、意識的にしろ、潜在的にしろ、 そういう孤独感は、それこそ人類という命の種の孤独として、誰にも共通すると、 今では思っている。
 
 夜空を見上げれば、暗い空に星たち。
 ああこの地球の人間たち、ボクら。
 ボクらと思いを分かつ命というものが、この星たちのどこかにあるのだろうか。
 ボクら人類は、孤独をいやす友人を、この広大な宇宙に見つけられるだろうか。
 
 それは未知だ。
 だけれども、未知ということは、その可能性は、あるということ。
 
 夜空に光る星のすべてに、可能性は眠っている。
 そんな思いで見上げた、あの頃の星たちだった。
 
     ソリタリョウ    2014.10.21
 


「満天の星」(ソリフターズver.) You Tube


    「満天の星」   作詞・作曲/ソリタリョウ

 

1 涙があふれ ほほ伝うとき

  体の芯が 熱く震える

 

  ぼくらは生きているから

  ひとりではないから

  見知らぬ誰かのために泣いたりする

 

  宇宙いっぱいに散りばめられた

  そのひとつの星から見上げれば

  孤独と言うにはなんと満天の

  満天の星たちだろう

 

 

2 時代のハザマ すり抜けるように

  誰かが同じ 夢をまた見る

 

  ぼくらは生きているから

  星たちは生きているから

  輝く仕事を辞めようとしない

 

  宇宙いっぱいに散りばめられた

  そのひとつの星から見上げれば

  孤独と言うにはなんと満天の

  満天の星たちだろう

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

言葉に垢がついてゆく

さきほど、あるSNSにて、コメントし
「言葉には垢がついてしまう」話をした。

それは、目を凝らせば、だいたい見破れるような気もするが、
たとえば「愛」なんて言葉についた垢は、かなり見えにくい気がする

●総選挙の争点

どうして、マスコミをはじめ、みんな口をそろえて
「争点はアベノミクスです」というのだろう

恥ずかしながら、アベノミクスの中身は、具体的によく知らん。
しかし、個人的に思うに、経済というもの、数学や物理学よろしく
『この方策とこれで、こういう効果が出て、このくらい上向きになる』
という論理的なものではない気がする。

なんかアベノニクスっていいらしいぞ、
なんだかいい感じになってきたんか?

そういう、人々の楽観的な印象がいちばん大事のように見える。
確証はないが、これにはかなり自信がある。

安部さんは、そこんところをうまくやった気がする。

とりあえず、その辺ばかりが争点であるならば、勝負は見えている。
みんなこぞって、それに反発しないのが、何とも不思議。

ボク的には、争点は秘密保護法とか内閣の憲法解釈。

前回の選挙で大勝ちしたのに便乗して、マニュフェストに一文字さえ
なかったことをごり押し。

ここへ来て、アベノニクスで信を問う、などという余裕があるなら、
なぜ、秘密保護法の前にそうしなかった?
答えは明白、選挙に敗退するから。

安部さん自身の解散で、安部さん自身「アベノニクスの信を問う」というのだから、
それこそ彼の土俵である。自信もあろう。
そこにただ乗っかっているのは、何とも策なし。

では、アベノニクス、10%への税率値上げを1年半伸ばすと言うが、
その『一年半』の根拠やいかに?
もともと8%にしてから、予想以上に景気が悪化して、10%を先送り。
文字通り、アベノニクスが目測を誤った証しだ。
消費税の上昇と景気回復のかねあい、これを見誤ったことは明らか。

消費税についていえば、最近ようやく「軽減税率」などと言いだしたが、
8%に景気が落ち込んだのも、一律税率がほぼ原因だろう。
お米と宝石と、税率が一緒なんて、どこの国にありますか?
野党のみなさんもこの辺はなぜか、おとなしい。

まあ、10%になってから、その辺の対処をした方が、諸経費的にも効率的だと
与党側は言ってきたらしいが、この辺は、ちょっと足が出ても、早くから
お米と宝石の税率を変えるように、税率に差異を持たせる方が、納得できる。
8%のとき、いや3%のときからでもよかった。

このまえ、あるタクシーの運転手さん、
「外国なんか見ても、消費税8%なんて世界最低でしょ?」とおっしゃる。

まあ、そういう比べ方もあるんだろうが、何とも稚拙。
サルまね方策かい?理由を考えてよ。
しかし、その場で言えなかったオレが腰抜けか?(笑)

●「愛」と言ってしまえば、伝家の宝刀、
オールマイティーな印象。

もともと愛とは、人間同士の関係性。
その一つの形、姿。

ボクと君に愛があるか
ボクと誰かに愛はあるか

清志郎は
「愛し合ってるかい?」と訊いた。
その言葉は、ださいか?
ボクらの関係にいつも愛があるか、
そのことを確認するのはダサいか?

愛という言葉はダサいか?
使い古されてしまったか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

言いたいことはたくさんあるんだ

言いたいことはたくさんある
あるはずなんだ
だけど、言葉が出てこない

言いたいことがありすぎるはずなのに
だって、オレだって言わせろよって感じだし
ブログだのつぶやきだの
オレの分は残ってないんか

言いたいことは有り余ってるはずだ
ずっと黙って我慢してきた
言いたい放題のように見えても
ホントのことは我慢してた

言いたいことはたくさんあるんだ
なんだかんだで時間ばかりが過ぎ去ってしまう
焦ってみたって、一語ずつ並べるっきゃない

この世のすべてを言い尽くしたいわけもない
それこそオレの時間じゃ足らん
ただオレがいるから、ここにいるから
オレの言葉で、生きてみたいよ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年11月 | トップページ | 2015年1月 »