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日本の気持ち、アジアの気持ち

やはり、安部首相は、スケートの真央ちゃんとそっくりだと思うのだ。目元など、ウリ二つ。
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これは、世紀の大発見だったのだが、どうしても秘守できなかった。人の口に戸は立てられない、ということを表している。ぎゃは

さて、毎度、こんな前振りだが、
「ニッポンを取り戻す」のキャッチのもと、大勝した自民党だが、『ニッポンを取り戻す』とは、いかなることを言うのだろう。
一時期に比べて、日本が元気がない、もっと日本は気骨があった、などの言葉、マスコミを中心に、良く聞く言葉ではあった。そんな日本を取り戻したい、ということではあろう。
最近は、「日本はこんなに素晴らしいんだ」といった風な新刊が、よく本屋に並んでいる。
つまり、そんなに自信や元気を失くすなよ、と自ら叱咤激励する時期のようだ。

しかし、「取り戻す」ものが、良いところだけならいいが、せっかく修正してきた部分まで取り戻してしまってはならぬだろう。ここが肝心。
自民党の方向性は、どうもこの辺の混同があるように感じられてならない。

実際、過去の歴史に学び、その長所を再現できたら、素晴らしい。しかし、時代というものは有機的で、必要悪があったから、あんな長所もあった、ということが多いんだと思う。
たとえば、経済発展がとても高度だったと言ったって、諸外国、とくにアジアの途上国の様子も、当時と同じように再現できるわけがない。そういった諸条件が絡み合っていることを見失わないようにしたい。

中国、韓国に対して、もっとタカ派でありたい。あんなこと言わしといて、いいのか。
という機運も良く分かる。
当局の失態から目をそらさせるために、日本をスケープゴートにしている、という説もあるが、それにしても、相手に間違いを正させようとするとき、正しいことを諭させようとするとき、そういうときこそ、物言いに気をつけなければならない。吉野弘さんの詩「祝婚歌」にもある。

  正しいことを言うときは
  少しひかえめにするほうがいい

  正しいことを言うときは
  相手を傷つけやすいものだと
  
気づいているほうがいい

          (吉野弘「祝婚歌」より抜粋)


これは日本人だけに通用する文化なのだろうか。


ぼくなりに、まったく勝手な話だが、中国や韓国の気持ちを察するに、どうしても「やっかみ」を感じずにはいられない。

かなり日本の近づいてきた感じはあるが、どうしても、国際的評価は及ばない。

ノーベル賞や、国民資質の評価など。


これまたボクなりの勝手な推測だが、日本は、日本人としての人種的な長所があるというよりは(遺伝学的には、日本人特有とされるような遺伝子の特質はないとされている)、日本の近代の歴史背景にあると思う。「がんばろう」というモチベーション。これの、他を凌いだものが、日本にあったんだと思う。


敗戦。東京裁判。賠償。

戦後の焼け野原をシンボルとする、日本の傷跡から、大きな大きなモチベーションが生まれた。

でも、それは、中国や韓国も同じ。

大きな違いは、彼らは「何も悪いことをしていない、一方な被害者」であるのに対し、日本は「侵略し、真珠湾で奇襲した、わるもの」である。そういうレッテルのもと、日本の方がモチベーションが高いのは、容易に想像できる。


いまや、オリンピックでも、中国、韓国選手の活躍、目覚ましいものがあるが、先鞭をつけたのは、やはり日本だろう。
「日本にも出来てるんだから」という思いが、中国、韓国の追い風になったことは、多少なりともあっただろう。

こんな逸話がある。東南アジアのある国、米国との合同軍事演習の際、キャンプ内において、米兵からあらぬ差別を受ける。かれらアジア兵が思ったのは「早く日本兵が合流してくれないかなあ」ということ。日本人が合流すると、米兵の態度が変わる。日本は一目置かれるから、東南アジアのその国への差別もなくなるのだという。

植民地から解放するという大東亜構想も、ちょっと空想話の感が否めないが、実際に、欧米からの視線にあった眼鏡の曇りを、日本人がふき取ってきた事実はあるのだろう。

ボクらは誇りを持つ。日本人としての誇りを持つ。当然だ。
しかし、その誇りの一部を勝ち得たモチベーションの一つに、「戦争を始めた悪者」というレッテルがあることを思い出したいと思う。

  

 

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コメント

ワタシ子どもの頃「伊藤みどりにそっくり!」とよく言われました。でも正直、嬉しくなかったなぁ・・・と今だから言います。

さて『ニッポンを取り戻す』これもワタシの勝手な解釈ですが、あの3.11以来『頑張ろうニッポン』とか『本当のニッポンを取り戻そう』という声が大きくなった気がしてならないのです。

津波は大きな被害を出しました。原発事故にて今も苦しんでいる人々がいます。

けど、もしも、もしもあの大災害がなかったら、ニッポンがひとつになることはなかったのか?頑張ろうという気にならなかったのか?ニッポンを取り戻そうという気にならなかったのか?そんな想いが湧き上がってきてしまうのです・・・

ワタシは父によく戦時中の話を聞きました。

食べるものもなく、いつくるかわからない空襲警報におびえ、本当に「死」をいつも身近に感じていた、と。

だけど「心強い仲間がいつも側にいた。みんなひとつになって力を合わせて生き抜いてきた」と必ず最後に言っていました。

今の日本は豊かで、食べるものや住まいに困ることはほとんどありません。ましてや敵からの攻撃におびえ暮らすこともありません。

だけど・・・やっぱり最近よく耳にする『絆』がなくなってしまったように思うのです。

極端な話、隣人が殺人犯だとしてもまったく気づかないわけですよね。それだけ『他人』に対して興味がないわけです。

「真珠湾を攻撃した悪者」と言われても、ワタシでさえいまいちピンとこないのに、十代、二十代の若者にとっては「そんなこと関係ないし。中国・韓国は日本を貶める『悪者』だよ」と言われそうです。

『ニッポンを取り戻す』

古き良き日本、美しい日本の伝統、それらを本当に取り戻したいのであれば、それ以前に「若者の心を取り戻す」必要があるとこれまた勝手なワタシの解釈ですが、そんな気がしてならないのです。

こんな日本に誰がした

言い出したらきりがないし、コメントだけではまとまりそうもないので、この辺で終わっておきます。

物書きの卵としても大きな課題のひとつであることに違いはないですね。

投稿: 由伊 | 2014年4月 7日 (月) 00時03分

由伊さん、コメント、ありがとう。
返信、遅れました。

『すべて時代のせいにして』
泉谷しげる御大の歌が聞こえてくるようです。

やはり、ハングリーさが減れば、モチベーションも小さい。そういう、シンプルな図式なのかもしれません。

もし、若者が精神的に何かを失っているとしたら、その原因を考えていかなければなりません。
しかし、その原因は、日本という自分の国に誇りを持てないからかもしれません。

これでは、『ニワトリが先か、タマゴが先か』の議論になってしまいそう。

たとえば、福祉の充実したスエーデンで自殺が多いのはなぜか。
ボクら人間は「サバイバル」というような環境が、多すぎずに、ある程度与えられている方がいいのかもしれません。

人間のストレスは、全部取り除くより、ある程度あった方がよい、というような話を聞いたこともあります。


さて、今回のブログで、ボクが最も言いたかったことは、近隣の国から相変わらず、先の罪について追及されることにうんざりする日本の国民感情の中で、それでも、戦後の日本人はその『悪者のレッテル』を、モチベーションに変えてきたのだろう、ということ。
つまりは、人の罪を責めること、それに逆切れすることといった対立よりも、未来のための力を得るのは、どういう思想か、ということ。

ボクは、『日本の誇り』関連の話として、こんなものも好きです。
アメリカは言う、
「リメンバー、パールハーバー!」
(真珠湾を忘れるな!)
日本人は言った、
「ノーモア、広島!」
(広島を、繰り返すな!)

この表現の違いに、ボクは日本人としての誇りを、強く強く感ぜずにはいられないのです。

お前の悪行は、決して忘れないぞ!という言い方、
かたや、あの不幸を、決して繰り返すまいという願い。

日本が好きだ。

投稿: そりた | 2014年4月13日 (日) 13時11分

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