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閻魔さまの苦しみ

去年、ふらりと鎌倉に行ってきた。

思い付きの日帰り旅だった。

古都と言うくらいで、お寺がいっぱいある。
北鎌倉駅近くの「圓應寺(円応寺・えんのうじ)」が、とても印象的だった。
北鎌倉駅のポスターで、宣伝されていなければ、見逃していたかもしれない。
とても目立たない入り口の、石段を登ったところにある。
いかにも「たいしたこたない」感じ。

ここに、「閻魔(えんま)さま」と、その関連の人?たちが祭られている。
そのひとたち、死者が訪れた時、その生前の所業により、これからどうなるか、という裁きを与えるのが役目。
閻魔さま一人で、すべてやるのではなく、ここにいるような、10人ばかりが手分けして行う。
各像のまえに、どんな役割か、書いてあるので、これを読むと、実に興味深い。

さて、まあ、ご存じのように、閻魔さま、死人に、地獄行きか極楽行きか宣言するのは有名。
しかし、一日に三回、閻魔さま自身が裁かれる時が来ると言う。
すべて、死んで、ここへ訪れるものが、極楽へと行けば、めでたしだが、
なかには、悪行の末、地獄行きを宣言されるものもいる。
すると、地獄行きを宣言したときには、閻魔さまは、その一日三回の審判において、罰を与えられる。
それは「地獄行きを宣言した罪」だという。ドロドロに焼けた火の小手をのど奥まで突っ込まれる、という、なんとも耐え難い苦しみを与えられる。
よって、閻魔さまの願いは「どうか地獄行きが出ないように」というものだという。

なんとも。

もちろん、閻魔さまたるもの、うそをついて、「みんな極楽じゃあ」というわけにもいくまい。
地獄行きを命ずる、その無慈悲のようにも思える絶対の裁きをなすものが、人々の悪行によって、地獄行きを命じることの罪を負う。
この思想というか、考え方に、まことに曼陀羅図を見るような思いだ。いやいや、曼陀羅のことなど、詳しいわけでもないが、単に「正と悪」という二元対立の図式ではない、有機的な宇宙を思わせる。

古都鎌倉、ありがとう。

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