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2013年11月

「この島の荒野と」

この島の荒野と

かさつく心に吹く寒風に

歌なんぞが現れようか

聞こえないはずの耳を己の両側へぶら下げて

ただ時の行く方へ

宛てなく移ろっていても

 

何度も聴きたくなるうた

どうも聞くに堪えないうた

勝手に評価して、

勝手に覚えたり忘れ去ったり

およそ

うたというのは、すべてみな

この私へと向けて歌われていたのだ

そのことに思い当たれば

私などがあきらめていても

どこかで確かにうたが始まり

私のうつろな心にも共鳴の芽が出ていて

 

さあ、うたえば――――

まずうたってみよう、とだけ

うたい始めたのだとしても

それは、いかんせん

必ず誰かに届いてゆくものなんだ

自分自身の希望へも

 

          2013.11.29 朝 甲府駅タリーズコーヒーにて

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『透明人間』は存在し得ない

数年前に読んだ文章だが、それによると、「『透明人間』というものは、理論的に存在不可能」だそうだ。

まず、透明であろうが、不透明であろうが、人間たるもの、感覚があるべき。
透明な身体について思えば、
透明な視覚器官には、何も映りえない。つまり、「見える」ためには、「光がレンズを通じて網膜に刺激として到達」しなければならないが、視覚器官が「透明」であると仮定すると、それが何か光を捉えることは不可能だという。

同じように、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、も不可能であろう。

このことは、ただのSFの検証にとどまらず、とても興味深い示唆を含んでいるように思う。

簡単に言えば
「透明な自分には、世界は感じられない」ということ。

自我、自身、自覚、意思
そういう「自分たる構成物」をしっかり所持しないと、
「世界」というものを、明白に認識できない。
ということだと思う。

それが、ひいては、自分自身が「生きている」という実感を薄めることにもなろう。

「透明人間になれたら、こんなこと、あんなこと、したいなあ。」
と思っても、いざ透明人間に「自分がない」なら、
こんなこと、あんなこと、したって、楽しくない。
楽しむ自分がいないんだな。

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本日3日、県庁前  午後!

本日 午後1時過ぎ、県庁前広場にてライブ!
(ソロ=ソリタリョウ)
20分の持ち時間なので、4曲くらいかな。

なんと、不可解だと思っていた国文祭に正式参加。
いろいろ言いたいこともあるが、
ケチをつけるだけなら、簡単だ。

締め切りの日に国文祭アーティストに申請。
国文祭は11月10日までだから、これが最初で最後の国文祭参加。
(もちろんオリオン通りやポピュラーフェスもあったが、
こちらは国文祭アーティスト登録前だった。

ボクなりの理解と、ボクなりの想いで、歌ってくるよ。

11月3日 まちなかフェスティバル

12:40 オープニング
12:45~13:05 Marina's
13:15~13:35 ソリタリョウ
13:45~14:05 飯高早苗

だんだん晴れてきた。午後は降水確率30%。
県庁新館横、県民ひろば。
平和通りに面した素敵なオープンスペースだよ。

待ってるよ!!

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