« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »

2013年7月

もっと自由な奴ら。

以前、このブログで、「朝の駅前では、タクシーの運転手さんたちが、とても自由に見える」
と書いたが、
その後、もっともっと自由なやつらに気づいた。
子供達だ。

彼らは、まず、体裁を気にしない。
大人たちは、明らかに「他人の目を気にする歩き方」をしている。
見ればわかる。
子供たちは、その辺には、まず気を払わない。
「他人の視線」などは、ほとんど意に介せず、
まず、彼らの脳みそは、「自分の視線」、「自分の興味」というものに占められている。

子供たちは、通勤しながら、興味の向くまま、空を仰ぎ、
興味の向くままの話題を友人に提供し、興味の向くものに、いつも、好奇心丸出しだ。

大人はそうはいかない。
とりあえず、節度のある人物としてふるまい、当然歌を歌いだしたりもせず、
カラスがぎゃーと泣いても、興味津々見入ったりしない。
そして、髪や裾の乱れを気にしつつ、上品に去っていくのである。

プライバシーが保護されることを願うが、
ある二人連れの子供たち、片方が
「おしっこしたらさあ、そのあとうんちが出ちゃった」
などという話題を、誰に取り繕うことなく、堂々と話していたりする。

この子供達を自由と言わずに、誰が自由であろう。

「傍若無人」という言葉がある。
勝手気ままに振舞うさまだ。
その語のごとく、「そばに誰もいないかのように、振舞う」ということ。

そばに誰かいれば、ボクらには足かせとなるのが常識なんだね。
誰だって、他人の目は気になる。
しかし、それが足かせなら、
その足かせにまだ気づかない、未熟な人間たちは、きっと
まだ自由なんだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「山口ツトム症候群」

「返事がない」のである。

ボクは、ほぼ毎月病院に行っているが、血液検査、あるいは診療を待っている時、
「××さ~~~ん」と看護士の方なんかが呼ぶのだけれど、
「返事がない」のである。

わたくし、54歳。
こどものころも、そうだったっけなあ‥‥
記憶は曖昧だが、返事があったように思えてならない。

「×× さ~~~ん」と呼ぶ。
誰も返事をしない。
しないのだが、誰かが、ぬぅ~~~っと立ち上がる。
そして、看護士さんの前に行く。
それをみて、呼んだ方は、「あ、この人だな?」と思うのである。

ときには、呼んだ看護士さんの後ろに立ってたりする。
呼んだ方は気づきようもない。

やはり、「呼ばれたら、返事をしましょう!」と教えられたはずだ。
あの教育はどこへ消えたのだ?

自慢ながら、ボクは返事をする。大きな声で返事する。
「ソリタさ~~~~ん」、「はいっっ!!」

そりゃ、病院に来るのは病人だから、元気もないんだろうが、
こんな場所も、明らかに現代社会の一場面だ。
「日本は、今、元気がない」、なんて評価も、こんなイメージから来ないとも限らない。

とりあえず、あと数人、返事をする人に会った。
ぼくらの返事を聞いて、
「お? いいじゃん」と思う人がいて、真似してくれないとも限らない。

そうさ、いつだって、まずは自分がはじめよう、だ。

ある小学校の話。
何年生か、たぶん、低学年だと思うけど、
体育館の集会で、順に名前を読んでも、なんの返事もない。
ところが、途中、ある子が大きな返事をしてみせると、
そのあとの子達は、真似して、返事をするようになった、
という話を聞いた。

ボクの病院の待合室も、そんな風にならないか。
返事をすること、
まず、そのことに好感を持つか、
その感性やいかに?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年6月 | トップページ | 2013年8月 »