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2012年12月

来年のクリスマス‥‥

3年くらい、かかったかな
オリジナルのクリスマスソングをお届けします。

まあ、とはいえ、クリスマス間際のいっときしか、創作してなかったけど。

もうクリスマスは、終わってしまった(笑)、という声もあるが、
来年だって、やってくる(笑)

「Happy Merry Wonderful Christmas Day!」
            作・うた・アレンジ ソリタリョウ

1 クリスマス・ツリーが そこここに置かれ
  イルミネーションが 夜の街 照らす
  足早に過ぎる ひとりひとりに 帰っていける場所が待ってる
  クリスマス・ソングが流れて 何かを思い出させる

  クリスマスが来るんだから
  もう一度 信じてみよう
  夢に見た自分 夢に見た世界

  クリスマスが来るんだから
  もう一度 呼びかけよう

  Happy Merry Wonderful Christmas Day!

2 大切な人に 何を贈ろうか
  どんな約束を交わそうか
  何度も何度も あきらめてきたよ 信じ続けることは辛いね
  それでも夢の天使が 今年も誘いに来るよ

  クリスマスが来るんだから
  もう一度 追いかけよう
  最高の未来 最上の勇気

  クリスマスが来るんだから
  すべてを祝福しよう
  Happy Merry Wonderful Christmas Day!

3 ららら ららら ららららら
  ららら ららら ららららら

  クリスマスが来るんだから
  もう一度 信じてみよう
  夢に見た自分 夢に見た世界

  クリスマスが来るんだから
  もう一度 呼びかけよう

          Happy Merry Wonderful Christmas Day!
          Happy Merry Wonderful Christmas Day!
                Happy Merry Wonderful Every Day!   

                「メリー・クリスマス!!!」

YouTube音源

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SNSの友人を切る。あるいは、SNSのルールについて(2)

まあ、現実世界とバーチャルというわけ方は、乱暴だったかもしれない。

言うなれば、いわゆる「現実社会」とて、バーチャルと言えないことはない。
なぜ、現実がバーチャルでないと言えよう(笑)

これもまた妄想家みたいで、乱暴な言い方だが。

SNSの中の人物や、出来事に対する思いは
まさに現実のそれらに対する思いと等価である。
だとすれば、SNSは、明らかに現実社会の延長だろう。

尊敬する先輩、Gさんの意見によれば、snsで友達を切ることは、そのまま友人関係を断絶することに等しい。と言う。

それもまたあり。
でもそういう感覚を持つ人もいる以上、そう取られてしまうリスクを覚悟するべきだろう。

まあ、ボク自身、考えを少し新たにした。
バーチャルな世界、ネットやSNS、マスコミなども含めて、それらすべてが現実社会と捉える方が正確だと思い至った。

しかし、それはそれとしても、
SNSも現実世界の一部であるとしても、

現実社会において、
「友達とどう付き合うか」、
「世界に、どういうルールを構築するか」
ということが、すぐに解決されるわけではない。

とりあえず、このことだけ記す。

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詩作二篇

  「この街の空に」

街ゆく人の中に
歩道で突然泣き崩れてしまう人がいても
ボクらはきっと
無理もないね、と思うのだろう

ひとりひとりに分けられて、
別々の個々体なのに、
なんて近くにいるボクら

なんて遠くて引き合うボクら

衆目の中で体裁も気にせず、
みんなみんな
泣き崩れてしまえばいいのに
この街の空に
大きな咆哮(ほうこう)を響かせて




  「その先へ」

いま、
と言った瞬間、過去になる、今。
ときが流れている

そのシコリを
心のどこかに隠してしまわないで
澱みの中に沈んでいないで

だって
ときが流れている

いま、
と言った瞬間、過去になる今を、
じっと見つめていては、命は澱んでしまう。

命のオモテを高く上げて
今のその先に
その先に視線を運べ



2012.12.23.午前  甲府駅前タリーズにて

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SNSの友人を切る。あるいは、SNSのルールについて。

SNS、たとえばmixiやfacebookの友達っていうものは、やたら切ったりしないものだろうか。

現実社会では、友人を切るとは、いわば絶交のようなもので、縁を切りたいようなことがあった時に、そうなるだろう。
では、SNSは、現実社会とおんなじか。

SNSも、人と人のコミュニケーションを担うツールの一つであるが、この歴史はごく浅い。例えば、伝統が継がれているか否かは置いておいても、手紙などは、そのルールが歴史の中で熟成してきた。
しかし、電子メールやSNSなどは、ホンのこの間、始まったばかり。使い方さえ知らない親は、子供たちに、その使い方のルールなど説けるはずがない。
かくて、SNSなんぞは、まだまだ未成熟のツールだ。
その確たるルールを誰が主張できよう。

ボクは、SNSでは、かなりバサバサ、友人を切ってしまう。
その思いは、たいてい「絶交」というわけではない。
例えば、現実社会なら、この人とはしばらく会わなくてもいいな、とか、距離が必要だな、とか、意識的、無意識にかかわらず、感じたならば、その人に会わずにいることは、結構たやすかったりする。しかし、毎日パソコンを開く習慣のなか、SNSで、会いたくない人に会わずにいることが、困難な時もある。
もちろん、コメントを見る程度で、「会う」のではないが、そのコメントを表示してほしくない時がある。
SNSには、どれもそういう機能があるのかもしれないが、そのへんの通でもない。
これで、友達を切ってしまっても、ボクにすれば、「絶交」などは意味しない。

どんな親友であろうが、距離は必要。
それが、いま、「絶交」ではない「SNSの友達を切る」という行為になることを、わかってほしい。

これは噂に過ぎないが、ボクが切ったことによって、かなり立腹したという話も聞いたことがある。
ただ、ボクの側から言わせていただけば、そんなに忌み嫌ったわけではない。

SNSの友達を切ることが、絶好を意味するというルール、あるいはコンセンサスは、もう確立しているのだろうか。
さらに言えば、SNS側は、「友達を切る」という機能を、どんなシチュエイションで使われると想定しているのか、ぶっちゃけたところを聞いてみたい。


ボクの友人は、最近、新しいデジカメを手に入れ、facebookのアルバムに、楽しそうにアップしていたのだが、そのアルバムに写っていた人が、許可なく写真をアップした、と言って立腹して、友達を切るのはもちろん、そのSNSでアクセスブロックをかけて、写真をアップしたボクの友人が、コンタクトをとることさえできなくしてしまった。
いい年の大人らしい。

SNSのルールがない以上、それもまた自由。
しかし、一度は注意する程度にして、二度三度繰り返すようなら、強硬手段も、というのが、常識に思えてならない。
これが「友人を切る」とか、「アクセスブロック」の使い方だろうか。

ボクの「友達を切る」という行為も、こんなニュアンスに取られても仕方ない、ということかもしれない。

SNSが成熟するのにどれくらいかかるのか。SNS自体も変化する中で、それを考えるのは、とても難しい。

でも、その成熟のために、何かの基準、足がかりといったものは必要だし、
誰しも、それはおぼろげに見えていると思う。

コミュニケーションとは何か。
何のために他人と付き合うか。
どんなふうに他人と付き合うか。

今の流行言葉ではないが、
「つながる」とは何か。

「つながろう」キャンペーンもいいが、それだけに終始して、言葉が形骸化しないことを願う。
きっと、ほんとうは、ボクも、あなたも、その本質に気づいているんだとは思う。

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