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怒り、あるいは憎しみについて(1)

最近のテーマ、「怒り」。

気にしてみると、本屋さんには、「怒り」絡みの本はたくさんある。

まず、ボクはこう考えた。

「怒りは沈めるべきもの。怒りは忌避すべきもの」というのは本当だろうか。また、それは何故だろうか。そもそも、怒りという感情は、なんのために僕に備わっているのだろう。

知人の禅次郎というアマチュアミュージシャンはブログの表紙にこう書く。

『全てのものは疑いうる、 たとえ自分の存在であっても・・・』

なかなか面白い。

また、ぼくの前作(CD)をプロデュースしてくれたROKUさんは、やはりブログに

『何でも確かめなきゃ気が済まない(抜粋)』と記す。

ちょっと違うかもしれないが、ボクはボクなりに「怒り」についてしばらく考えている。考え続けている。

そして、まず最初にこんな場所に来た。

「怒りは忌避すべきか。平穏は至宝か。

ボクらは平穏がいいとよく言う。例えば、年賀状に「平穏な一年でありますように」と。

この平穏でない人生を生き抜いている途上、心の平穏など、無い方が当たり前なんじゃないか。」

平穏が当たり前でないと前提してみる。と、この怒れる心が、急に静まるように感じられる。パラドックスのようだけど、怒りの波は、みるみる穏やかになってしまった。

つまり、怒りを沈めよう、沈めようとする焦りが、ボクを怒りに縛り付けていた節がある。

まず、ボクは

「『怒り』など、心の荒波は、『あって当たり前』と思うと、受け入れられる。

『この怒りをどうしてくれよう』ともがけば、もがくほど、沸き上がる」

ということに気づいた。

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